柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

日本以外全部…

柄谷行人丸山真男とアソシエーショニズム」
(思想8月号)を読んで。


日本では、知識人と大衆の区別は
元々明確ではないのに対し、
日本以外の欧米・中国・韓国では
知識人層が現在に到るまでいわば世襲である、
という話が面白かったですね。


セルジョ・ルッツァット『反ファシズムの危機』
(堤康徳訳、岩波書店

一方、二年前、共和国大統領はエジプトのエル・アラメインを訪れ、一九四二年のすさまじい戦闘で死んだ多くのイタリア兵の犠牲を追悼した。その行いはまちがっていた。人間だからといって死者がみな手厚く追悼される必要はない、というのが理由ではない。そうではなくて、あのイタリア人の死者たちが――召集された兵士であるならば――一人ひとりは戦争の無実な犠牲者だったにせよ、それは侵略戦争だったのであり、その勝利は、世界的な規模でのヒトラーの平和(pax hitleriana)の到来を意味していたからである。