柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

北山茂夫『日本古代政治史の研究』(岩波書店)

sasaki_makoto2007-03-02

これはむしろ進歩派の古代学に最近とみに力を加えてきた傾向であるが、こうした方向にたどるかぎり、かつて太平洋戦争中に狂燥をきわめ現在もなお鉾をおさめていないアルトラ・ナショナリストの一派、保田與重郎らの提説と、きっぱり自己を区別することができないのである。


さきにも少しふれたように、(光仁天皇には高野新笠とのあいだに山部親王桓武天皇)がおり、他戸親王立太子前に政界にきこえるところがほとんどなかったのにたいして、山部は父大納言の活躍時代に官途についてその将来が嘱目されていた。この親王にとっての難点は、帰化人(百済王家)の血をひくという「卑母」の関係にあった。