柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

札幌、カフェ・ラ・トゥールにて

sasaki_makoto2007-08-21

カフェ・ラ・トゥール 札幌市中央区北1西3 時計台仲通り古久根ビル2F
 011-221-3090 http://www.cafe-la-tour.com
しん 札幌中央区南4西4 松岡ビル地下 011-222-1663


649年に、玄奘が「般若心経」を漢訳したというので
日本書紀」では、

 ブッダ神武天皇(紀元前660年という設定)、
 玄奘聖徳太子(ほぼ同時代)

として描いたのではないかと考える。

 シュメール、チョモランマ、ヒマラヤ、スメラミコト。

しかし、以下「『大無量寿経』の文献」
浄土三部経 上』(岩波文庫)を読んで
聖徳太子聖徳太子かと思う。

  日本において最初に『無量寿経』がとり挙げられたのは聖徳太子(五七四―六二二年)であり、その著『維摩経義琉』の「仏国品」に「唯除五逆誹謗正法」の文が出ている(花山信勝博士「聖徳太子の唯除五逆誹謗正法について」、印仏研、第三巻・第二号)。


古本屋で『任那興亡史』を探す。



丸山眞男「個人析出のさまざまなパターン」

 けれども他方では、私化とははっきり区別される自立化の傾向を示す少数のインテリも成長しつつあり、石川啄木はその一人であった。