柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

戦うモナド

sasaki_makoto2008-07-13

90年頃、両国のシアターΧで
浅田彰氏のポストモダンのダンスについての
講演を聴いた事がある。
両国駅で力士の巨大な写真を見た。


ドゥルーズは『シネマ』で

 キューブリック=頭脳
 ゴダール=身体

という対立を述べていた。


キューブリック=クビライと考える。
遊牧民とはヨーロッパ人のドゥルーズから見た
モンゴル帝国の事なのか。

 遊牧、脱領土、モンゴル、戦争する機械
 定住、領土、ヨーロッパ、農耕


現在、朝青龍琴欧洲が戦っている。



鈴木 泉「ドゥルーズガタリ研究・活用の現在」『ドゥルーズガタリの現在』(平凡社

 浅田彰の『構造と力』(一九八三年)刊行が巻き起こした今や懐かしいニュー・アカブームは、ドゥルーズ及びドゥルーズ=ガタリの名をスキゾ/パラノなるキャッチ・フレーズと共に人口に膾炙させるのに与ったが、この書そのものは基本的に『アンチ・オイディプス』のかなり暴力的な図式化を一部含むに留まり、浅田彰の戦略的意図を勘案しても、ドゥルーズドゥルーズ=ガタリの思考を正面から扱うものではなかった。むしろ、折からのバブル景気を背景にしてのみ刊行することが可能であったはずの雑誌『GS』において浅田彰の果たした役割が大きい。特に、第二号『特集 Polysexual=複数の性』(一九八四年)と第四号『特集 戦争機械』(一九八六年)は、前者が主にクロソウスキーとの関わりにおいて、未だ翻訳のなかった『意味の論理学』と『アンチ・オイディプス』の抄訳を市田良彦と共に遂行し、後者はその表題が示す通り、こちらもまだ邦訳のなかった『千のプラトー』の第一二プラトーと第一三プラトーを機軸に据えた特集である。『差異と反復』すら翻訳されていなかった時期に、ドゥルーズ=ガタリの二著作の核心が一挙に導入されたのである。