柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

札幌と旭川の藤井シェリーに行きました

フェルナン・ブローデル『文明の文法I』(みすず書房

 信仰の仕方を引き継ぐというのは、イスラム教はそれ自体、ユダヤ教キリスト教アブラハム旧約聖書の系譜につらなり、その厳格な一神論に結びついているからである。イスラム教にとって、エルサレムは聖都であり、イエスマホメット以前の最大の預言者であって、ただ一人、マホメットだけが、イエスを超えることができたのであった。

マホメットは、大天使ガブリエル(これが彼のもとを訪うた神秘的な存在である)の言葉を聞いて、自分が神の使者、聖書伝承の預言者たちのうちで最後の最も偉大な預言者であると考えた。


日本書紀 上』(講談社学術文庫

 (仁徳)三十年(342年)秋九月十一日、皇后は紀の国においでになり、熊野岬に着かれ、そこの三つ柏をとってお帰りになった。


仁徳天皇にとって、磐之媛皇后がダイアナ、八田皇女がカミラだったのかもしれない。