柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

1Q84 ドクトル梅津バンド+浅田彰


石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社

つまりウィットフォーゲルはここで、エーバーハルトが中国社会のもつ「アジア的」特殊性に目を配ることなく、西欧的な意味での「封建的」カテゴリーによって中国伝統社会を理解しようとするものだと批判しているのである★13。

(13)「封建的」と「アジア的」という対概念をなすこれらの言葉は、マルクス主義の歴史理論において世界認識を左右してしまうほどのきわめて大きな意味合いを持っているにもかかわらず、そのような問題意識はいまだに一般的なものとなってはいない。ここで「封建制」=前近代とされる図式は、いうまでもなくスターリンによる史的唯物論のいわゆる「五段階発展説」からアジア的生産様式が排除されたことに由来しており、いいかえればその悪しきスターリニズムの影響力は、今日の世界でもなお深く影を落としているといわざるを得ない。本来的にはこの「封建制」こそが、商業ギルドや職人団体などの独立した「政治的市民共同体」を自由都市において育み、その結果としてトータルな西欧近代市民社会を開花させることとなったにもかかわらず、正統派マルクス主義はそれとはまったく逆に、「封建制」を前近代と見なし、例えば本来「アジア的」社会であるはずのロシアも中国も、この「封建制」のカテゴリーで理解してきたのである。この問題性についての最近の論考としては、柄谷行人「革命と反復:第3章 封建的とアジア的と」、『クォータリー〈あっと〉』、二〇〇六年第三号を参照。



VOGUE NIPPON 2010年 11月号
★政治家、蓮舫。だから私は、走り続ける。

石井知章『K・A・ウィットフォーゲルの東洋的社会論』(社会評論社

このことを象徴的に示しているのが、日本における最初のウィットフォーゲルの紹介者・翻訳者であり、彼とはフランクフルト大学時代(一九二〇年代)以来の旧来であった平野義太郎との往復書簡(スタンフォード大学フーバー研究所所蔵)である。

 このようにして水力政府は、自らの権力の存立基盤を脅かすこうした非政府的勢力が、独立した中間団体として結実しないよう断固として阻止することとなるが、そのことは『東洋的社会の理論』(一九三八年)において、生産主体の領域が公圏と私圏とに区分され、公圏の縮小が国家権力の衰退である一方、私圏の存在が国家権力にとって敵対的であり、その拡大は極力排除されなければならないと理解されたのと相即的である。

すなわちウィットフォーゲルは、非政治的社会勢力という中間団体の長がそれぞれの権力で均衡を保っている場合はともかくとしても、そうでない場合にはただ抑制されない権力の累積傾向(cumulative tendency)が生じてくるという政治構造の内的メカニズムを明らかにするのである。

 水力政府は、モンテスキューによってそう理解されたように、自らの権力の存立基盤を脅かすこうした非政府的勢力が、独立した中間団体(corps intermediares)として結実しないように直接的または間接的に阻止することとなる。


ウィットフォーゲル『支那経済史』

例えば、書経の中には大高官羲及び和(夏朝)が、君主に抗って、彼等の都市に引退し、軍事的強制を受けなければならなかったということが報ぜられて居り、また同じ典拠から、諸都市に対する中央政権の断固たる処置について聞き、〈夏の国王は……夏の諸都市を抑圧した〉。


特集ワイド:’09シリーズ危機 政権選択/中 評論家・柄谷行人さん - 毎日jp(毎日新聞)  http://t.co/PitErCh


マックス・ウェーバー「宗教倫理と現世 「経済と社会」第二部第五章七節―十二節」
『宗教・社会論集』(英明訳、河出書房新社

ユダヤ人においては同民族の間で、回教と古代キリスト教においては最初は信仰者仲間の間で、次いで無条件に、利子取得が厳禁されている。


天安門事件から「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望 劉暁波/劉燕子 藤原書店