西船橋の吉野家では、玉子の無料券も一緒に使えました。
「モーツァルトや宮崎駿が胎教や子供の教育に良いとは限らない」
と以前考えたりしていたが、ジブリ美術館で宮崎駿の原画の
鮮やかさを見てそんな事はどうでもよくなった。
柄谷行人『世界共和国へ』もそんな感じだ。
宇野弘蔵、カール・ポランニー、青木孝平らの議論と
どう違うかは今のところ、興味ない。
「NAM原理」も凝縮された文章だったが(マルクスからグラムシまで)、
『世界共和国へ』は凝縮を意識させないほど展開が速い。
「資本−ネーション−国家−アソシエーション」論から
中盤の最近の宗教論への接続が妥当か考えましょうか。