杉本彩「あー、昔はね」
エドワード・W・サイード「批評の未来」『故国喪失についての省察』(みすず書房)
わたしの信じるところでは、批評が、体系的または原理的な形態を取ると、そのような形態は批評
をパッケージ商品化する傾向があるので、批評の活力は失われる。しかし、その機能が、根っから
世俗的(セキュラー)で、とことんまで問題をつきつめ、休みなく移動をおこなうことで、対抗的
批評(オポジショナル・クリティシズム)の有益な非妥協性が貫かれるとき、批評の活力は最大限
に実現される。
メビウス/大友克洋
スパイク・リー「ドゥ・ザ・ライト・シング」/高城剛「バナナチップス・ラブ」
という前者から後者への関係が
にもあるようだ。
サイード『故国喪失についての省察』の「コンラッドとニーチェ」によれば、
『闇の奥』「ノストローモ」を書いたコンラッドには
ニーチェからの影響が強いという。
『闇の奥』は映画「地獄の黙示録」の原作と聞いた。
「ノストロモ」は映画「エイリアン」の宇宙船の名前。
「地獄の黙示録」は、祝祭的、デュオニソス的な世界を描いたのかもしれない。
監督のフランシス・コッポラは、ニーチェを意識して
ワーグナーの「ワルキューレの騎行」を使ったのだろうか。
1989年のCOMPLEXのライブのオープニングでも
「ワルキューレの騎行」が使われたが
ワーグナーが作曲して100年後、120年後だったのはいつだろう。