柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

宗教画のように

sasaki_makoto2006-09-22

1、皇族男子の「仁」という字は、清和天皇(惟仁)から使われている(サンデー毎日)。
2、村上天皇の次から光格天皇の前までは、「天皇」ではなく「院」と呼ばれた(朝日新聞)。
3、「天皇制」は、明治以後の制度である(はてなダイアリー)。


天皇は、将軍、太政大臣、総理大臣を形式的に
任命、認証してきたと考えているが、2を知ると
天皇家」は本当に継続されてきたのか、と思う。


明治政権によって、「天皇家」という家系を強調するために
捏造されたということはないのだろうか。


鎌倉時代から江戸時代まで、現在言われるように
代々の何代天皇と言っていただろうか。

将軍の任命や元号の決定に、本当に関わっていたのか。

天皇家周辺の神官などの家系には実質があったかもしれない。