話すことと歌うこと
ずっと話しても無料ということらしい。
話すこと、これは俗の様式である。歌うこと、これは聖の様式である。
宇治谷 孟「あとがき――解説に代えて――」
『日本書紀・全現代語訳 下』(講談社学術文庫)
この海彦・山彦の話にしても、産室の屋根をウの羽で葺くのに、それが葺き終わぬうちに子が生まれたので、ウガヤフキアエズと名づけたなどというのは、われわれもオトギ話程度にしか受取っていなかったものである。
ところが韓国の古代史研究家によると、三韓を遡る数百年前から、南部朝鮮に「伽耶」という高度の文明国があり、韓国固有語で、上伽耶(ウカヤ)・下伽耶(アラカヤ)と呼ばれる兄弟国であったという。
昨年、池袋・ジュンク堂で前田英樹氏は
「詩」と「散文」の違いについて語っていた。
ウガヤフキアエズノミコトが朝鮮・上伽耶の人であれば、
その子の神武天皇は確かに九州出身だったのかもしれない。
では、ウガヤフキアエズノミコトの祖父・ニニギノミコトが
「降臨」したのはなぜ高千穂なのだろう。
ケンケン、犬
ビョウビョウ、猫
チョーチョー、鳥
マーマー、馬
ギューギュー、牛
ロウロウ、狼
鳴き声なのか。
パラパラは変身できない仮面ライダーのようだ。