柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

倭人と韓人

sasaki_makoto2006-11-24

上垣外憲一倭人と韓人 記紀から読む古代交流史』(講談社学術文庫)は
「日本史の謎の終り」という感じだ。


上垣外憲一倭人と韓人』(講談社学術文庫


 天孫降臨の地が、いったいどこであったのか、古来議論の絶えないところだが、「此地は韓国に向ひ」(『古事記』)という一句を重視するなら、朝鮮半島の対岸にあたる北九州の海岸部を想定するのが自然である。


 『三国遺事』では竜城国となっているが、『三国史記』では、脱解王の出生国を多婆那国として、やはり倭国の「東北一千里」と記している。


新羅第4代の脱解王(在位57−80)の出身地・多婆那は日本の丹波であるという。



吉備(きび)、蘇我(そが)…音読み
大伴(おおとも)、物部(もののべ)…訓読み

前者は「訓読み」を始める前からの豪族とも考えられる。