柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

市ヶ谷の親切な人々

sasaki_makoto2007-02-16

14日、雨の中、傘もささずに
市ヶ谷の防衛省前を歩いていると
2人に「大丈夫ですか」と声をかけられました。


朴時仁「日本紀の研究」『[比較]古代日本と韓国文化 上』(学生社

 (七) 日本紀古事記の蛭児と同じのは夫余、高句麗神話の金蛙である。その神話のあらすじはつぎのようである。
 『夫余の王解夫婁は年寄りになるまでも子がなかった。ある日馬に乗って昆淵に行き、水の中にある石をころがしてみると体つきが蛙に似ている金色の児があった。金蛙と名づけた。この児が後日太子になり王となって東の方の迦葉原(カシバラ)に遷都した。夫余には解慕漱という天神の子が降ってきて水神の娘である柳花と結婚して高句麗の始王、東明を生んだ』


日本紀の橿原(カシハラ)、葦原(アシハラ)の橿(カシ)、葦(アシ)も同じで、東(ヒガアシ)という意味であった。


1946〜1948年 東京裁判
1970年11月25日 三島事件


防衛省 http://www.mod.go.jp/
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