本日の紀伊国屋ホール
李寧熙『もう一つの万葉集』(文春文庫)
古朝鮮、夫余、辰国などの韓国の古代国家は、紀元前数世紀から鉄器文化を花咲かせ、これらの国の人達は温暖で豊饒な土地を求めて根気強く南進、紀元元年前に、百済と新羅、伽耶を韓半島南部に建国し、その余勢をかって日本にも足をのばし、競って分国を建てました。
斯慮国は、やまとの前身である邪馬台国を創建し、弥雛忽国、つまり沸流百済つまり瑞穂国が山跡を重建。おそらく新羅系の邪馬台国を、百済系の山跡国が接収したのでありましょう。
今の慶尚北道高霊に都(邑)を定めた大伽耶は、紀元五六二年新羅に滅ぼされ、その後、遺民たちが大挙日本へ亡命しました。
韓日の一部の学者によると、斉明天皇は百済第三十代武王の娘宝(たからの意。斉明天皇の名「天豊財重日足姫」にも「たから」が入っています)王女であり、百済最後の王である第三十一代義慈王の妹なのだそうです(飯田武郷著「日本書紀通釈」、文定昌著「日本上古史」、安東叡著「韓族と古代日本皇室」より)。斉明天皇が百済の王女であれば、彼女の異常なまでの「百済びいき」も釈然とします。
佐渡の「ド」、やまとの「ト」は、韓国語の島(ド)のような気がしてきました。