柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

季刊at(あっと)10号

sasaki_makoto2007-12-19

日本農業の大黒柱である米作りがいよいよ存亡の危機を迎えています。今年の新米買上げ価格が昨年の半値近くまで下がり、数十ヘクタールの大規模専業農家でも採算割れになっています。まして兼業農家は、老齢の農民が自分の年金で暮らしながら、労賃ゼロで米を作る状況に置かれています。米作りはもはや貨幣経済の論理から脱落し、国民経済の外部になりつつあるといえるのではないでしょうか。
国内農業と農家が、大都市のワーキングプアと同じく、格差社会の下層に位置し、国内における<第三世界>になりつつある現在、短くない歴史を持つ「産直提携・産地提携」は、フェアトレードの視点から捉えなおし、その意味と可能性を吟味すべきではないかと考え、この特集を企画しました。

《特集 国内フェアトレードとしての産直提携》
 ・今野聡  「農協産直事業の今日的課題とは何か」
 ・加藤好一 「生活クラブにおける『産直提携』の現状と課題」
 ・森まゆみ 「丸森の私の庭」
 ・槌田劭  「縁故米運動、その由来と提言」
 ・辻村英之 「京都・綾部米の価格形成と産直の課題」

その規模の大きさと経験の豊富さから、産直提携は農協という生産者団体と生協という消費者団体の間の関係が主流と見なされがちでした。日本の協同組合法が生産者と消費者にまたがる協同組合を認めていない、という制度的制約があったのですが、概して購買力を持つ生協が生産者に対して優位に振舞うという傾向を否定できない問題点があるように思われます。
それに対して、槌田劭さんたち(「使い捨て時代を考える会」)が運営する「安全農産供給センター」は、敢えて株式会社として設立運営して、消費者と生産者が信頼と経済で結ぶ確かな関係を三十年もの時間をかけて創造してきました。その現在の到達点が「縁故米」運動です。
さらに、辻村英之さんは綾部の米生産者の独自な活動を分析することで、国内フェアトレード(機構)への展望を示唆しています。
農業と農村の危機に一喜一憂するのではなく、都市と農村=消費と生産を結ぶオルタナティーブな関係を作るために、この特集が参照されることを願っています。

特集の他に、世界思想レベルで活躍するマサオ・ミヨシさんの巻頭論文「大学、宇宙、世界、そして<グローバリゼーション>」は、国外国内のフェアトレード運動(と理論)や多様なオルタナティーブ運動(と理論)の根拠付けをめぐる注目すべき論点を、「超学問的領域」として提示しています。

その他の主要な論文は次の通りです。<小特集>アナキズムの再審
 ・鎌田慧  「叛乱の記憶」
 ・大窪一志 「相互扶助の暗黙知を再発見する!」
 ・山田広昭 「アナキズムと美学」

 ・本橋哲也 「ポストコロニアルリズムのエコロジー的側面」
 ・上野千鶴子「ケアの社会学 第九章 協セクターにおける先進ケアの実践」
 ・柄谷行人 「『世界共和国へ』に関するノート(6)帝国」



東京がディズニーランド
土曜、新宿から日光にバスで行くのに首都高に乗った。
赤坂プリンス、東京ドーム、北池袋を通って。

改めて、首都高はジェットコースター、いやそれ以上に
”面白い”と思った。

ほとんどが高架だが地上からの高さが良く分からない
(宮崎アニメ、オウム真理教のように宙に浮いている?)。

つなぎ目のガタンガタンという音は
震動はあるが催眠作用もあるかもしれない。

以前、東京ディズニーランドが皇居に代わって
”日本の聖地”になったという議論があったが、

64年の”世界の祭典”東京オリンピックのために
首都高が開通した時点で、日本の幼児化・オタク化が
始まっていたのではないだろうか。



小林敏明『廣松渉』(講談社)によれば、
廣松渉西田幾多郎ハイデガー大江健三郎には
「地方出身者で難解な文体を用いる」という共通点があるという。



仲尾宏『朝鮮通信使』(岩波新書

 一六一七年(元和三)年四月一七日、駿河久能山の東照社に祀られていた徳川家康の霊廟が僧天海の発議により下野国二荒山の麓に移され、将軍家光が御三家・家門・諸大名だけでなく、勅使や門跡も従えて参拝し、神格も「東照大権現」と改まった。



新垣結衣 http://ameblo.jp/yui-aragaki/