柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

季刊at(あっと) 13号

sasaki_makoto2008-09-27

* 今号は「ケア・介護の協同的あり方へ」の特集です。
 創刊以来の上野千鶴子さんの連載「ケアの社会学」は、介護の現場の方たちはもちろん、研究者や介護に関心を持つ人たちの大きな関心を集めてきました。歴史上希有な高齢化社会を迎えつつある中で、国家の福祉厚生予算が減額され続け、老齢者の生活と介護の問題は、官のセクターに頼らず、様々な協同的セクターの創設と運営の方向性を目指さざるをえない、また目指すべきであるという上野さんの基本的考え方は、広く賛意を得ていると思います。
 上野さんの連載はいよいよ佳境に入り、官セクターの先進事例と評価された秋田県鷹巣町の事例を詳細に分析しています。85枚の長編掲載を機に、キューバやフィリピンの介護事情を含めて、多様な取り組みを紹介する、盛り沢山の特集です。
どうぞ、手にとって吟味して下さるよう、お願い致します。
 主な内容は次の通りです。
 ・ 官セクターの成功と挫折:秋田県鷹巣の場合(ケアの社会学11章)  上野千鶴子
 ・ 温泉の癒し・ケアの力と地域共同性      石川理夫
 ・ 高齢者が「ケア−」を与える社会        大橋成子
 ・ 世界が注目するキューバの医療・介護    中野健太
 ・ 拡げたい 市民がつくるセーフティネット    中村久子
 ・ 生協と自治体の協同福祉事業         青柳秀樹
 ・ 介護労働者の賃金レポート           石毛?子
 ・ プレカリアート後期高齢者の連携へ     雨宮処凜
* 特集以外の注目論文
 ・ 自給自足の山林農場プラン          石山修武
  建築界の鬼才と呼ばれる石山さんが設計する猪苗代湖畔の農場建設計画。建築技術と構想 力の最先端と有機農業の試みの接点の中で、都市生活者(消費者)の感性・趣味の改変を迫  り、自然との接し方の根本的変更の道を提示する、興味尽きない論考。
 ・ CO2濃度増は気温高が原因である     槌田 敦
 地球温暖化をCO2濃度の増大に求める論者も求めない論者も、それぞれに声高な主張を繰り 広げているが、これまでにもっとも科学的議論を展開している槌田理論については、黙殺する  か、ダマテンでちゃっかり借用するという非学問的な態度を押し通し、いわばエモーショナルな  議論を垂れ流している。そうした論者を改めて根底的に批判し、原因と結果の取り違えを明晰  に指摘する注目の論考。
* 連載
 「『世界共和国へ』に関するノート(9) 権力論」      柄谷行人
 交換様式の三類型それぞれにおける「権力」のありようについて、かつてない深層へと認識を届 かせる、権力の本質論の画期的な営為。
 「ポスト・オリエント(3) 共和主義を巡って」        山下範久
 「デザイン覚書 13」                       鈴木一誌
 その他、辻村英之さんの長文書評「『コーヒー学のすすめ』におけるフェアトレードの評価」や、中島佳織さんの「国際フェアトレード認証ラベルの役割と課題」など、興味深い論考を多数掲載しています。
 全国書店では9月29日からの店頭販売となりますが、一部大型書店では、27日から店頭に並び始めます。
 お買い求め下さるようお願いするとともに、ご意見ご批判を編集部にお寄せ下さるよう、お頼み致します。



共産主義に可能性はあるか
ジャック・デリダ "Spectres de Marx"

われわれに要求(それは厳命なのかもしれない)されているのは、来たるべき未来にわれわれが赴くことであり、このわれわれの内に加わることである。(略)配偶者〔共に接合された者〕なき、組織なき、党なき、国民なき、国家なき、固有性=所有なき合流〔再結合〕の盟約(もっと後で、われわれが新たなインターナショナルという異名を与えようと思っている〈共産主義〉)。


梶田裕「訳者解題――脱構築の決断」
デリダ『シニェポンジュ』(法政大学出版局

 しかしながら、そのような(上記)共産主義の可能性は、来たるべきものにとどまるだろう。そしてそのようなものを思考することができるのは、時間のたががはずれる瞬間、「脱臼した現在」の決して現前することのない時間においてだけだろう。にもかかわらず、脱構築の二つの公理に忠実であり続ける者は、安心させてくれるような確信が不可能なところで、そのような「何か」を、そしてそれが差し向ける常にすでに過ぎ去っていると同時に切迫した到来を断固として肯定するだろう。そしてそのような肯定は、その確信が出来事の出来事性を失わせてしまうことがないように、デリダが好んだひとつの固有語法によって刻印されているだろう。Peut-etreと。デリダは、エクリチュールの概念ではない概念とその実践をもってして、来たるべき新たな世界の到来を、今ここにおいて告げようとしたのである。