柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

大塚英志『「おたく」の精神史』(講談社現代新書)

sasaki_makoto2009-01-05

現在を昭和初期の反復としてとらえる論調は柄谷行人以降、多数見受けられるし、他方、オウムを連合赤軍に比定する歴史観に立てば、現在は七〇年代初頭の反復に他ならない。

柄谷行人の「外部」の焼き直しでしかなかったにせよ、いとうせいこうが『ノーライフキング』において記した「リアル」や中森明夫が『オシャレ泥棒』で記した「凛凛」といったキーワードに託したものはいかに「現実」を再発見するか、という切なる主題だったように思う。

柄谷行人ら「文学者」とアントニオ猪木を同列に置いてはいけないのかもしれないが、けれども「文学者」の声明と猪木のふるまいはやはり同じ戦争観の上に成り立っていたようにも思うのだ。『文学界』九一年四月号に掲載された小山鉄郎「文学者追跡」によれば「声明」が出されたのは二月二一日で、中上健次津島佑子、森詠、島田雅彦松本侑子いとうせいこう高橋源一郎田中康夫柄谷行人川村湊岩井克人が記者会見に出席し二種類の声明が出されたという。

中上、島田、川村の三人がある座談会の後で「湾岸戦争に対して、言葉を扱う者が何も言わない何もしないというというのは良くないのでは」となり、そこに柄谷が加わって討論会が開催されるに至った、と小山の記事からは読める。

当時、ぼくは太田出版からまんがの自著を準備している最中だったが、彼らは打ち合わせ中に度々中座しては「田中さん」や「柄谷さん」や「中上さん」に電話をかけていたのが妙に記憶に残っているのだ。

 こういったいとうの語りが柄谷行人的言説という「虚構」の中にあり、いとうに限らず「声明」の多くはその柄谷的虚構の中で「現実」に着地しようとしたにすぎない、と今、記することは可能だ。