柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

僕も関門海峡で壇ノ浦の戦い(1185)の事を考えた

フッサールデカルト省察』(浜渦辰二訳、岩波文庫

確かに、超越論的還元の意味には、それが初めは、我(エゴ)とそのうちに含まれているもの、ただし無規定的な規定可能性の地平を伴ったもの、これらのほかは何も存在するものとしない、ということが含まれている。確かに、それゆえ、この学問は純粋な自我論(エゴロギー)として始まり、そして、この学問は私たちを、超越論的であるとはいえ、一種の独我論と宣告するかのように見える。