柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

クリントンは新宿で見たかった

丸山眞男講義録[第六冊]』(東京大学出版局)

 こうして、仏教寺院は、寺社奉行の統制下におかれ、諸宗法度や本末制度を通じて幕藩体制の下に完全に組み入れられただけでなく、それ自体、行政機構の末端を担当する役場・区役所的存在に堕し、社会的自主性を喪失した。

 ことは宗教だけの問題ではない。少くとも歴史的には、良心の自由〈、学問の自由、思想の自由〉の観念は信仰の自由から発したし、いかなる権力も侵すべからざる領域としての自由権の保障のうえに、国家と社会との二元的区別も、自発的結社の発想も根づく。政治的価値と全く異なった次元、異なった価値基準に立つ自発的集団の原型は信仰共同体である。学問や芸術を目的とする結社や集団が、国家とか政党のような政治集団と相似形をなしやすく、また容易に政治権力(反体制的政治権力もふくむ)に従属するのは、政治的価値をこえた価値へのコミットメントが弱いからである。ここでは権力獲得をめぐる闘争、または経済的利害に基づく対立は起りえても、非政治的・内面的価値に依拠し、その内面性をまもるために政治権力に抵抗する伝統は定着しにくい。行動の次元でいえば、非政治的目的から発する政治行動という発想である。これが政党を除く、一切の自発的結社の自立性が保障される社会的基盤である。それがないと組織と行動様式がすべて政治集団の相似形となり、そういうところではまた、最大の政治集団としての国家がリヴァイアサンとして、社会を併合する傾向性が高い。