柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

大阪は日本でないわ

27日、関西空港からバスで大阪駅に行った時の印象。
関空は初めてで埋立地の広大さに驚き、
駐機する飛行機を見てインチョン空港を思い出した。
(基地として使えそうだが周辺は反対だろう)
空港と陸を結ぶ橋も長大。
高速道路はずっと地上5階ぐらいで3車線も多い。
港湾部の橋は客船の通過対応の為か10階ぐらいの高さにも。
首都高のような地上の道路やトンネルは全くない。
建築物も東京の皇居と西新宿の高層ビル群のような対照がなく
新旧大小の様々な建物が並んでいる。
手塚治虫が描いた未来都市なのか。

柄谷行人氏の講演で「国連による世界同時革命」に言及がなかったのは意外だった。
『世界史の構造』の結論でそれがどのように記述されるのか気になる。
普遍宗教の議論としてキリスト教の成立が念頭にあるようで
今後の世界構想から過去に戻るのか、
なぜキューブリックの各作品、手塚治虫火の鳥』、大澤信亮柄谷行人論」のように
各時代を網羅しようとするのか、とも。

92年1月、布袋寅泰の前月のロンドン・ライブ(僕も行った!)を見るために
放送日に電器屋にBSアンテナを設置してもらい、午後、BSを見てみると
中沢新一氏が寺院を訪れていた(オウム事件前)。


中沢新一東浩紀白井聡「日本的想像力と成熟」思想地図vol.4

中沢 柄谷さんは、身は日本の中にいながら、心を何とかしてヨーロッパ中央部に持っていって、そしてそこで過酷な闘いを自分に強いて仕事をしている感じがします。柄谷さんは神戸の人ですよね。神戸は断層線でできている街で、柄谷さんも断層の人なんだなというのは、昔からおつき合いしていて感じることがありました。

それを一番感じたところですが、柄谷さんは仏教というものをデリダの戦略的な否定神学と平行なものとして理解しようとしたんですね。

白井 中沢さんも柄谷さんも交換様式に注目してそこから別の社会の在り方を構想している点では、最近のお二方の理論的展開は非常に近い軌道を描いていると思います。

中沢 柄谷さんは昔、僕の『チベットモーツァルト』(講談社学術文庫)に大変共感してくれていたんですね。僕も柄谷さんのいろんな著作は、自分の問題性と非常に切り結ぶところが多かったんですが、いまは、長いディスコミュケーションを経た後で、たどり着いてみたら、非情に近いところにいるということにむしろ驚きを持っているぐらいです。柄谷さんの抱えている問題系と僕が抱えている問題系は大変に共通点があるとも思います。ただ、立ち位置が違うということが最終的な表現法の違いを作り出していて、僕は柄谷さんを見ていると、苦行ということを自分に課している人だなという印象が強い。

東 一神教多神教を自在に往復するのが中沢さんの理念だとしたら、柄谷さんの理念は世界宗教ですね。