柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

5月30日、伊勢神宮に

sasaki_makoto2010-06-02

大和から見て東にある伊勢神宮は日の出、
西にある出雲大社(吉備氏を鎮魂?)は日の入りに対応し
両者において稲作の豊かな実りを太陽に祈るのかと考えていたが
そうでもないかもしれない。
伊勢神宮は比較的内陸にあり
志摩半島の先端で東の海を
見渡している訳ではなかった。

井上章一伊勢神宮』(講談社)(29日に京都で吉沢明歩に譲った)に
あるように、基本的にはコメの倉庫だったのだろう。
神聖なコメの倉庫もまた神聖である。
だがその建築様式は東南アジアや長江下流の集会所に似ているという。

日本でコメが極端に神聖化されたと思うが
日本書紀の記述でも、近代に至る食生活の中でも
強いて言えば神聖であったという事かもしれない。


『世界共和国へ』に関するノート(14) 最終回 atプラス03
世界同時革命 柄谷行人
I 国家への対抗運動
II カントの「永遠平和」
III カントとヘーゲル
IV 贈与による平和
V 国連システム


ハンス=ゲオルグ・ガダマー『詩と対話』(巻田悦郎訳、法政大学出版局

ただ示唆しさえすればよい内容の共同性とともに、有名な定式や定型句を伴う修辞学の言語が詩からぬぐいさられた。こうして、詩における意味の諸単位はそれ自身からは統一されず、逆に互いに反対方向に向かう。それらはそれがあるままに多義的に散乱したままである。デリダはこれをディセミナシオン(撒種)と名づけた。