柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

伊勢と出雲

天照大神

 伊勢は日出づる国、出雲は日進む国なり、我霊は伊勢と出雲へ祀れよ。


天照大神が司った世界が伊勢から出雲、つまり現在の奈良を中心とした近畿地方であれば
宮崎や大分に伝わる天孫降臨・高千穂の神話をどう理解したら良いのだろうか。
初代天皇の神武は九州で生まれ、奈良・橿原で即位したとされている。
伊勢神宮出雲大社の伝承を考えると
天皇政権は九州とは関係なく畿内で、九州を舞台にした上記の神話は
理由があって付け加えられたという説が自然な気がする。
また、魏志倭人伝で書かれた邪馬台国
記述された行程から九州であるという説があるが
それは伝聞による誤差で、邪馬台=ヤマト(奈良)と考えて良いと思う。
但し、天照大神の世界は近畿だったが
それをそのまま天皇政権と考える事は出来ないかもしれない。



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マラルメ・プロジェクト観覧記〉リズムと翻訳 佐藤雄一
評論 夢の場所、フレームの淵――『水死』論 古谷利裕
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東浩紀存在論的、郵便的――ジャック・デリダについて』(新潮社)

ゲーデル脱構築は完全に形式的である。したがってそれは具体的応用に際しては必ず、ある飛躍、九〇年代のデリダによる神秘化された表現を借りれば「不可能なものへの無限の責任」を要求する。しかしここで警戒すべきは、理論的に支えられないその飛躍の「穴」を埋めるためにこそ、素朴なイデオロギー、主体や共同体の経験主義的な肯定が再来しうることである。(……)脱構築アイデンティティ・ポリティックス、否定神学と経験論はくるりと反転して融合するのだ。


ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件』(小林康夫訳、水声社

(……)予告されているのは知の終焉ではなく、むしろその逆の事態である。データ・バンクが明日のエンチクロぺディーであり、それは使用者ひとりひとりの能力をはるかに上廻っている。それはポスト・モダン時代の人間にとっての《自然》なのである。