柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

探究IV 第1回

ハンス=ゲオルグ・ガダマー『真理と方法II』(法政大学出版局

彼(フッサール)の確信によれば、現象学的還元の超越論的な意味を本当に最後まで堅持し、超越論的独我論といったこけおどしを恐れたりしなければ、これらの逆説はおのずから解消する。

いずれにしても、すでにプラトンが『国家論』第三巻のなかで自然状態を皮肉を込めて叙述して、こういった国家理論が幻想にすぎないことをあばいて見せている。

よく知られているように、カントは定言命法の解読にあたって、とりわけ、他人をけっして単に手段として用いてはならず、目的そのものとして承認すべきであると言っている。

むしろ、歴史意識はテクストを〈歴史学的〉に読むとき、伝承をいつもすでに、あらかじめ根本的に平板化してしまい、その結果、自身の知の基準は伝承によってけっして危うくされることがないのである。

ハイネ http://www.bautz.de/bbkl/
クラデニウス http://www.bautz.de/bbkl/
オルグジンメル http://socio.ch/sim/leb1.htm
シュタイガー http://www.uni-essen.de/literaturwissenschaft-aktiv/Vorlesungen/hermeneutik/staiger.htm
レオ・シュトラウス http://members.tripod.com/Cato1/strauss-bio.htm
ヴェルナー・イェーガー http://www.bautz.de/bbkl/

巻田悦郎「訳者あとがき」

 第五版が出版されるときに、ガダマーは著作集第二巻の巻頭論文として、「現象学弁証法のあいだ――自己批判の試み」という論文を書き下ろしている。この論文では、デリダフッサール理解が批判され、H・R・ヤウスやM・フランク(Manfred Frank)からの批判に対する弁護が行なわれている。

スーパーフラット http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%88
カイカイキキ http://www.kaikaikiki.co.jp/