柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

構造と力

ハンス=ゲオルグ・ガダマー『真理と方法II』
(轡田収・巻田悦郎訳、法政大学出版局

 事実、個々人の発話は、ひとつの自由な形成行為である。もちろん、その発話の可能性は言語の確定した形態によって制約されてはいる。

 この原則によれば、テクストの個々の箇所はコンテクストゥス(contextus)、つまり、文脈、および全体が狙う統一的な意味、すなわち、スコープス(scopus)、とから理解できる。

 歴史学派はヘーゲルの世界史の哲学に抵抗したが、あとで見るように、ヘーゲルは精神の存在と真理の認識にとって歴史がもつ意義を、ヘーゲルに依存していることを自ら認めようとしなかった大歴史家たちよりも比較にならないほど深く、認識していたのである。

 世界史の哲学に対抗することによって、歴史学派は文献学の方向へと駆り立てられた。自分たちが世界史の連関を目的論的に、すなわち、ロマン主義以前ないし以後の啓蒙思想的なスタイルで、いわば歴史の終焉、世界史の終末の日のような、そうした最終状態から考えないことは彼らの誇りであった。

 彼(ヤーコプ・ブルクハルト)はこの伝承の崩壊、つまり、新しい野蛮の始まりを不吉にもたびたび予言しているのであるが、もしそのようなことが起これば、それは歴史学的世界観にとって、世界史内部における大破局ではなく、世界史そのものの終わりのはずである――少なくとも、世界史を世界史的統一と同一視しようとする限りはそうである。

 だから、ドロイゼンは、世界史の統一という考えそのもの――神の計画といった、特定の内容をともなう観念ではないとしても――統制的な理念としてはっきりと承認できた。


柄谷行人は「僕は歴史学者ではない。構造的に考えている」と言っている。

パフォーマティブ=形成、歴史学派、構成的理念、東浩紀、力
コンスタティブ=確定、世界史の哲学、統制的理念、柄谷行人、構造

と考えられる。


『世界史の構造』は書き下ろしだそうです。
http://twitter.com/KinoShinjuku/status/13778538359