柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

ダンスとダンサーは区別できるか?

ガダマー『真理と方法I』(1975年、法政大学出版局

 演劇の上演を演劇そのものから切り離して考えることはできない。


この一節は、ポール・ド・マン柄谷行人の「ダンスとダンサーは区別できるか」と
同じ事を言っているのではないかと思った。


ポール・ド・マン記号論とレトリック」(1979年)

 イエーツの詩、『学童に交りて』(1928年、AMONG SCHOOL CHILDREN)は、「ダンサーとダンスをどうして区別することができようか」という有名な行で終っている。


Japaneseは日本語、または日本人(日本語を話す人)、
Englishは英語、またはイギリス人(英語を話す人)を
意味する事が可能だ。

しかし、danceがdanceする人、
speakがspeakする人を意味する事は出来ない。

JapaneseはJapan、EnglishはEnglandの形容詞でもあり
すべて固有名である。

これに対して一般の動詞、且つ名詞である(dance、speak)と
その動作を行う名詞を(dancer、speaker)としている
言語上のルールは運用上問題が無いが

注意すると
dancerはdanceしなければdancerではない、
(danceをする事によってdancerである)
speakerはspeakしなければspeakerではない
(speakをする事によってspeakerである)
という事だろう。
(名詞のspeakはdanceと在り方が違うので
songとsingerの方が良かったかもしれない。)


田中希生 ダンスとダンサーは区別できるか?
http://www.fragment-group.com/kiotanaka/history/569.html

yojisekimoto What's the difference?
http://www.amazon.co.jp/review/R38K50O8RPJM5W


東浩紀「一般意志2.0 5 「総記録社会」の誕生」『本』May 2010

 そしてその記録をもとに、ひとが評価され、雇用され、ときには裁かれる時代(ネットの検索だけを頼りに政治家や言論人の発言の齟齬を探し、揚げ足取りに夢中になっている2ちゃんねらーを想起されたい、これはすでに始まっている変化なのである)。

注1 ツイッターの投稿数についての記事は、日本でもIT系メディアで大きく報道された。フォースクエアの投稿数については以下を参照。http://mashable.com/2010/03/29/foursquare-growth-numbers/
注2 グーグル日本語入力については、リリース直後、東京大学で行われた第一回ウェブ学会シンポジウムで開発者(工藤拓)が自ら手法や理念について語っている。資料は残念ながら非公開だったようだが、講演は現在でも動画で公開されている。興味にあるかたはご覧いただきたい。http://www.ustream.tv/recorded/2733797


東浩紀は以前、amazonで商品を買うと、この商品を買った方はこれも買っていますと
次から次へと案内が表示されるんですよと言っていたが
現在、それを、ネット社会における多くの参加者による一般意志の形成として
理論化しているようだ。

僕のようにさだまさし柄谷行人に興味があっても
中島みゆき蓮實重彦はそうでもないという人はいると思うのだが。