柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

慧深はメキシコに行ったか

フレデリックルノワール『仏教と西洋の出会い』(トランスビュー

 一七六一年、フランスの中国学者ヨセフ・ド=ギーニュは、五世紀に六人の中国人仏教僧が、陸路・海路でアラスカとアメリカ西海岸を経由してメキシコに渡ったという論文を発表して、碑文・文芸アカデミーの同僚たちの度肝を抜いた[Guignes, 1761]。このフランス人学者は、中国皇帝の古文書館で発見された四九九年の紀年を持つ資料を根拠にしており、それによれば、六人のうちの一人で慧深という僧侶が、この空前の大旅行を四五八年に皇帝に報告したことが記されている。

 そして、(エドワード=ペイソン・ヴァイニングは)グアテマラはゴータマ(ブッダの名前)とマラ(仏教の数珠)に由来し、マヤ族はブッダの母マーヤー夫人の名前から派生したと提唱した。


扶桑 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%B6%E6%A1%91

 『梁書』によると、僧慧深(けいしん、拼音: Huìshēnホイシェン)が普通年間 (520年–527年)に扶桑という国から梁へやってきたという。扶桑の所在地については、倭国の東北7000余里(3000km余、漢代の里 ≒ 434m、以下換算にはこの値を使う)に文身国が、その東5000余里(2200km余)に大漢国があり、大漢国の東2万余里(8700km余)に扶桑がある。ただし、倭国・文身国・大漢国までについては地の文で事実として書かれているが、扶桑についてはその位置も含め、慧深の証言という形で書かれている。また、地の文の大漢国と慧深の言う大漢国が同じものかもはっきりしない。


梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國

 (扶桑国の話は以前はなかったが、普通年間 (520年–527年)、扶桑国から来たと言う者の話を記す。(中略)
永元元年(499年)、扶桑国の僧慧深が荊州に来て言った。
 「扶桑国は大漢国の東二万余里(8700km余)、中国の東方にある。「扶桑の木」が多いことからその名がある。扶桑の葉は桐に似て、生え始めはタケノコのようで、扶桑国人は食用にする。実は梨のようで赤く、その皮を績いで布にして衣類や綿にしたり屋根を葺いたりする。文字はあり、扶桑の皮でできた紙に書く。城郭はなく、兵士や武装はなく、戦争をしかけない。
 南北2つの監獄があり、軽罪の者は南獄、重罪の者は北獄に入る。南獄には恩赦があるが北獄にはない。北獄では男女を番わせ、生まれた男児は8歳・女児は9歳で奴婢とし、罪人自身は一生出られない。貴人が有罪となれば、穴の中に座らせ、酒宴を開いて処刑し、その上に灰を撒く。初犯なら当人が責を受けるだけだが、再犯なら子と孫、三犯なら7世に及ぶ。
 国王の名は乙祁。貴人(「祁貴人」が王の名の可能性あり)の第1位は大対盧、第2位は小対盧、第3位は納咄沙と呼ぶ。国王が行くときには鼓笛を従える。その衣の色は年により変わり、甲乙年は青、丙丁年は赤、戊己年は黄、庚辛年は自、壬癸年は黒である。
 牛の角は非常に長く、20斛(540kg、1斛≒57kg)以上を運ぶ。馬車、牛車にくわえ、鹿車がある。中国人が牛を飼うように、扶桑国人は鹿を飼い、乳から乳製品を作る。桑、梨、フトモモがある。鉄はないが銅(青銅か)はあり、金銀はふんだんにある。市場では税金がかからない。
 結婚するときは、婿が女の家へ行き、門外に建物を作り朝夕掃除する。女が喜ばなかったら取り壊し、喜べば成婚となる。結婚式は中国とほぼ同じである。
 親の喪には7日間絶食する。祖父母は5日間、兄弟姉妹おじおばは3日間である。死者の霊を神像とし、朝夕拝む。(先王が死んで?)王の跡継ぎが立ったときには、3年間国事に関わらなかった。
 かつては仏教はなかったが、大明2年(458年)、罽賓国(ガンダーラカシミール近辺)から5人の僧が来て仏典と仏像をもたらし出家を勧めたので、風俗は変化した」
 また慧深はこうも言った。「扶桑の東1000余里(430km)に女国があり、(以下略、一部意訳))


ギーニュは慧深の到着地を扶桑=メキシコと考えたようだが
その根拠とした梁書の記述は「扶桑国の慧深が梁に来た」らしい。
扶桑は日本の別名となったが
梁書では倭王武の記述があるように
倭とは別の国とされている。


グアテマラ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%9E%E3%83%A9

Guatemalaは「ワシ(鷲)」の意味であるという。
http://ocw.u-tokyo.ac.jp/wp-content/uploads/lecture-notes/AS_02/tb07.pdf


カムチャツカのカム=漢なのかと思ったが
探検家イワン・カムチャツキーに由来するのか。
カムチャツカ半島 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%84%E3%82%AB%E5%8D%8A%E5%B3%B6