板野友美とやまぐちりこの差異について
29日、アキバでほしのあき、夏目理緒のイベントに行ったが
やまぐちりこは上野で行かなかった。
板野友美のデビューシングルのポスターを見て
ジャケットも収録曲も3種類で
これがAKB商法かと。
東浩紀のように売れる時に売ろうという考えなのか。
NHKはAKB48の過去の映像で
中西里菜(やまぐちりこ)が映らないように
配慮しているという。
しかし、週刊プレイボーイのグラビアでは
AV女優よりAKB48の方が多く使われていると思う。
去年の「桜の栞」「ポニーテールとシュシュ」
「ヘビーローテーション」「Beginner」は良かった。
中西里菜がなぜAKB48を辞めたのか良く分らないが
秋元康がやまぐちりこのイメージを
利用したいのか隠蔽したいのか興味がある。
中西里菜 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%A5%BF%E9%87%8C%E8%8F%9C
シングルCD選抜曲
桜の花びらたち
スカート、ひらり
会いたかった
制服が邪魔をする
軽蔑していた愛情
BINGO!
僕の太陽
Baby! Baby! Baby!
やまぐちりこ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%90%E3%81%A1%E3%82%8A%E3%81%93
思想地図 beta vol.1
パターンの可能性――人文知とサイエンスの交差点
井庭崇+江渡浩一郎+増田直紀+東浩紀+李明喜
東 柄谷行人の「言語・数・貨幣」という一九八三年のテクストを、叩き台として配らせていただきました。
いまではポストモダニズムなどは失笑の対象でしかなく、したがって柄谷のこの時期の思考には毀誉褒貶がありますが、僕は、柄谷が哲学において「アマチュア」でしかないという弱点を抱えつつも、しかしそれを逆に活かし、本質的な議論を大胆に展開した重要なテクストだと思います。
柄谷は、ジェイコブズの都市形成の議論はマルクスが「自然成長性」と呼んでいた概念に他ならない、と主張しています。
しかしながら柄谷は続く議論で、セミ・ラティスは「どんなに複雑であっても、すでに閉じられている」として、否定してしまいます。
柄谷はここでドゥルーズ=ガタリの「リゾーム」に触れ、そのイメージは大脳中枢神経系に近いと述べて、ネットワーク論に近づいている。
これは当時は神秘主義を避けるためだとされていましたが、その後の柄谷の仕事を辿れば明らかなように実際には逆の効果を持ちました。それまで柄谷は、近代を超える原理として、自然成長性をなんとかポジティブに名指そうとしていた。ところがここで彼は、それを「ネガティヴにしか指示しえない」ものだとして神秘化する。
ここからさきの柄谷の変化は批評史的にはたいへん興味深いものなのですが、それは今日の座談会の主題に関係ないので割愛します。
ちなみに付け加えると、リゾームといえば普通は浅田彰ですが、柄谷の思考が持つこのようなダイナミズムと比較すると、彼が一九八三年の『構造と力』で提示した図式はじつにスタティックで単純です。
したがって、かつて柄谷行人がアレクザンダーに着目しながらもそこで目をそむけてしまった、その「挫折の地点」から世界像についての思考をさきに進めることができないか。