柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

武蔵国

森浩一・網野義彦
『日本史への挑戦 「関東学」の創造をめざして』(ちくま学芸文庫

 森 天平宝字二年(七五八)に百人足らずの新羅人新羅郡をつくっていますが、この新しい新羅郡の郡名瓦はない。

武蔵国 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD
 武蔵国には21郡(後に22郡)が置かれた。陸奥国の40郡に次いで多い。
 新羅郡(新座郡・新倉郡)
 入間郡
 高麗郡
 比企郡
 男衾郡
 幡羅郡
 榛沢郡
 那珂郡
 久良岐郡(または久良郡)
 都筑郡
 多摩郡(多麻郡や多磨郡とも)
 橘樹郡
 足立郡
 児玉郡
 賀美郡加美郡とも)
 秩父郡
 横見郡
 埼玉郡
 大里郡
 荏原郡
 豊嶋郡
 葛飾郡(葛西郡)-近世に下総国から編入


新座郡 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%BA%A7%E9%83%A1
 元々は新羅郡(しらぎぐん、しらぎのこおり)と呼ばれており、その後新座郡(しらぎぐん、しらぎのこおり)と表記されるようになると、その字に引きずられてにいくらの読みが正式となった。

高麗郡 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97%E9%83%A1
 716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗の遺民1799人を武蔵国に移したことにより高麗郡として設置されたのが最初である。

廃藩置県 1871年 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E8%97%A9%E7%BD%AE%E7%9C%8C
 武蔵国:川越県、忍県、岩槻県、浦和県小菅県東京府品川県、神奈川県、六浦県