柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

『日本沈没』1973/2006

73年に映画『日本沈没』を見て
海底・地震のシーン、列島が沈んで行くシーン、
民族離散となった日本人たちが大陸の列車に乗るラストシーン、
藤岡弘仮面ライダー)、小林桂樹(田所)、いしだあゆみ
竹内均(学者)が印象的だった。
首相は丹波哲郎だったようだ。
父親が小松左京カッパブックスを買っていた。
村野武範のドラマも憶えている。
「沈没する」が流行語だったかは分らない。
小松左京は『復活の日』を書くために
地震について調べているうちに
竹内均の著書で地球物理学(プレート・テクトニクス)を知り
そこで得た知識を生かして『日本沈没』を書いたという。


教育社のトレーニング・ペーパーのおかげで
僕は高校に主席で入学した。
竹内均が編集していた教育社のNewtonもしばらく購読していた。
教育テレビの竹内均の地学をよく見ていたせいか
高校2年の時に3年と一緒に受けた模試で
授業を受けていない地学Iが何度か校内1位だったりした。
83年春、札幌の代々木ゼミナール
当時札幌校の校長だった竹内均の講演を見た。
梅原猛竹内均の共著も読んだ。


東浩紀は思想地図で『日本沈没』(2006年)について
「前作と違って、草彅剛柴咲コウのふたりが祈ると地震が止まるんですよ。
まさにセカイ系です」と言っている。


今回の地震の翌日、南柏ドンキホーテ
買い出しに忙しい人々を見て
日本沈没』の民族離散のシーンを思い出した。