柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人を解体する36

http://mimizun.com/log/2ch/philo/1300581665/
柄谷行人を解体する36


1 :枝野”ジャック・バウアー官房長官:2011/03/20(日) 09:41:05.66 0
KOJIN KARATANI http://www.kojinkaratani.com/
KARATANI-B http://homepage3.nifty.com/karatani-b
柄谷行人書誌 http://www23.atwiki.jp/karatanibiblio/
Google http://www.google.co.jp/search?as_q=%E6%9F%84%E8%B0%B7%E8%A1%8C%E4%BA%BA&hl=ja&num=10&btnG=Goo...
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2011/3/8 柄谷行人・師曾志・尹亨根・百永端「資本=ネーション=ステートをどう超えるか」 世界・別冊
http://www.iwanami.co.jp/sekai/2011/ex/816/218.html
2011/3/12 柄谷行人丸川哲史「第八回 長池講義 中国の左翼について」 長池公園自然館
http://web.nagaike-lecture.com/?eid=1406703
http://web.nagaike-lecture.com/?eid=1406704
2011/4 柄谷行人山口二郎「イソノミアと民主主義の現在」 文學界4月号
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungakukai/
2011/4/6-8 柄谷行人 セミナー カリフォルニア大学アーバイン
http://www.humanities.uci.edu/SOH/calendar/detail.php?recid=3028&dept_code_val=all&file_name=events
2011/4/8 柄谷行人中上健次柄谷行人 中上健次 全対話』 講談社文芸文庫


ミシェル・フーコー『狂気の歴史』序言、田村俶訳

 西洋の形成の流れにそって、東洋と西洋のこの大いなる分割(パルタージュ)の歴史を書き、この分割とその連続と交換において追跡し、しかも、それがその悲劇的な宗教性の点でも現われるようにしなければならぬだろう。


小島信夫批評集成4 私の作家遍歴I』(水声社

 私は松山とかんけいの深い『坊っちゃん』を読んでいるうちに、なるほど、漱石は松山行きを、ちょっと『ガリヴァー旅行記』の小人国へ行ったときの調子で書いたのだな、と思ったりした。

 漱石がイギリスへ留学したとき、文字通り大人国へ行ったのであった。

 女史(カイーロヴァ)はそう思わなかったかもしれないが、彼(ドストエフスキー罪と罰』のラスコリニコフ)はオーヴァの内側に斧をひっかけることを思いつき、老婆がひとりいる時を見はからない何もかも大丈夫だと確かめて、実行する。

 可哀想に青年はほとんどしばらく前から半病人だったが、いよいよふるえながら実行し、そうして、そこにいないはずの老婆の姪のリザベータをも殺してしまう。

 これから四十年もあとにアントン・チェーホフは、夏のことであるが、同じ道をサガレンの囚人の生活をしらべにシベリアを東に向った。そうしてこれは先きの話であるが、(小泉)八雲が日本に来た年に、チェーホフも日本にくるつもりであった。

 ドストエフスキーが、フランス人のフーリエの、理想的共産主義の思想にかかずらわったことからシベリアへ行ったように、ツルゲーネフは、大げさにいうとパリの女歌手たちに感化されて百姓も自分も女歌手もひっきょうするに同じものであるということを思いはじめた。


斧による殺害で
キューブリックの『シャイニング』を思い出した。
罪と罰』の場面も冬だろうか。

ロシア帝政時代だったので
フーリエ共産主義は問題があったのだろう。
ソ連時代であればどうだったのだろう。

ロシア、禁錮刑で佐藤優を思い出すが
佐藤はドストエフスキーを意識しているかもしれない。
佐藤優キリスト教神学のみで全てを語ろうとしていて
それはヨーロッパでの外務官僚経験に基づくと考えられるが
ユダヤイスラム、仏教について
見えにくくなってはいないだろうか。

フーリエ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A8


「福島」の名称は、そのころの県庁所在地だった福島町から取ったものですが、文禄2年(1593年)ごろ、木村吉清によって、福島城として使われたのが初めてだといわれています。
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=EF49651D3870860381F2464246EBB821?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=10667


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魔の感情が疼くプライドのプラトー 2011/02/17 01:21
世界史の構造は、みるからに観念のパレードを、妄想させます。
怒りの数々を表示メニュー表示に交換、アルベール・カミュの頭を抑えたかのように、怒りをむかつきに交換した、内田樹のテクニック・スキルが、陰を継ぐように思わせます。
好奇心はメニューの表示で、捕って代わられ、潰されないけれども、多勢のシンパは好奇心のメニュー化を見て知って、無勢の観念に、自我の我を自己に掠わせ、気難しい好奇心を、マル暗キにもってこいの単語や短句のその観念に交換、キキを発しキキに退き隠り、オーソドクシーがオソドックを多勢・支配。陶酔の純粋に迫られ急かされるまま、観念が辞書化すると、観念は手際よく異端を正統に交換、正統が異端に交換され、観念はひとつを不動化。メニュー表示された事象はメニューの観念に枝葉を奪われ、観念の無惨を、知の世界に曝させます。
つまり、世界史の世界は、重商主義を叫ばせた19世紀の世界とチガい、原爆を日本狭小列島に浴びせた20世紀半ばの世界とチガい、ドルの大戦場を勝ち抜き米大陸をスーパー債務コッカに追い遣った20世紀末のそれともチガい、ウソの侵略戦争を国連外で実行したジョージ・ブッシュ大統領の世界ともチガい、世界史はパレードの中に並べれば、並べたまでのこと。構造なんて、索引ページの編集を書き換えるまでのこと。ようするに、世界史も構造も、知が見る世界のその一冊の索引メニューのそれまで。思想も哲学もなく、観念のパレードを、鉛の軍隊に模し、囃す喝采を妄想し自己・興奮するまでのこと。
田勢康弘が、朝日新聞のキジを再生する日経新聞の弱勢・報道に燻され、相合い傘の向こうに見る欲求不満を、…邪のラブレター…に顕し、小沢一郎の不和と重圧を相合い傘から覗き、邪のラブレター宛てに壊し屋の名を認め、実らぬ恋をアピール、暇の効用とばかりに、観念好きを興奮させ、日本狭小列島の構造改革など、放ったらかしです。
かすみ我せきの保守・傭兵ジ民トーを、土俵の下まで転落させた殊勲は、リアリズムの日本狭小列島・史に踊るはずなのに、そうは書かないように、世界史の構造も、観念のメニュー表示で青息吐息をみせるの不作が精一杯。
世界史の構造も、世界史の観念が造ったものでなく、神出鬼没するままの世界史に、観念の愚々の愚を並べてパレードさせたまでのこと。特段の究明・思想も誕生せず、無責任の潮流が険しいのに、険しくないように嘯くまでの陳腐・書き。ウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジュ氏が…秘密…をネット一遠に、表書きさせれば、世界・史の構・造など、人形劇や紙芝居のその寓話にも劣る劣等の塊、無用のそれがハッキリします。デフレ30年、世界・史にも乗らず、構・造の中にも出現しません。(中断、よければつづきを投稿します)