柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

共産主義は輝かしい未来を与えてくれるか

ツヴェタン・トドロフ『越境者の思想 トドロフ,自身を語る』(小野潮訳、法政大学出版局

彼(ロマン・ヤコブソン)はパリにやってくると――彼はよくパリに来ていました――ホテルか、あるいは精神分析ラカンの前妻であるシルヴィア・ラカンの家に滞在していました。

少なくとも、バルトは共産主義に輝かしい未来を与えてくれることなど期待してはいませんでした。

自分の周囲にいた唯一のブルガリア人はジュリア・クリステヴァでした。


ソシュール『一般言語学講義』

言語は数ある記号体系のひとつに過ぎない。記号体系には交通信号もあればモールス信号もある。


水村美苗日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(筑摩書房

言語について思考するのがいかに困難でありながら大切なことであるかを学んだのは、昔、イェール大学で仏文学を専攻していたときである。ポール・ド・マン、ショシャナ・フェルマン、マリア・パガニーニの諸先生に感謝する。また、当時、加藤周一氏、そして柄谷行人氏が日本文学を教えるために招かれていた。


仲正昌樹ヴァルター・ベンヤミン 「危機」の時代の思想家を読む』(作品社)

現在では、バフチン(一八九五−一九八〇)のカーニヴァル的な笑いの理論とか、柄谷行人さん(一九四一− )の『ヒューモアとしての唯物論』(一九九三)とか、中沢新一さん(一九五〇− )が『始まりのレーニン』(一九九四)で論じたレーニンの笑いをめぐる議論のように、「唯物論」と「笑い」や「ユーモア」を結び付ける議論はそれほど珍しくなくなっていますが、四〇年代には、かなり斬新だったと思います。

一時期、柄谷行人さんたちが、ボナパルティズムにおける表象=再現=代表の問題をしきりと論じていました。


ゴダール・ソシアリスム http://www.bowjapan.com/socialisme/
色が鮮やかそうですね。デビッド・リンチはやはりヨーロッパ的なのかと。
大学のゼミの後輩・吉雄孝紀氏が
東京国際映画祭の時にゴダールを見たとか
渋谷の交差点で隣りにヴィム・ヴェンダースが立ってた
と言ってたような気がします。
http://www016.upp.so-net.ne.jp/maruba/
僕がゴダールの作品で見たのは
浅田彰松浦寿輝氏のトークイベントがあった
「中国女」だけです。
そういえば、吉雄氏は以前、広瀬隆の反原発関係の上映会にも参加してました。