柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

24日、東京電力前

sasaki_makoto2011-04-25

アリストテレス

 役人を籤で選ぶこと、それはまるで船の持ち主が、舵を取る者を必要として、水夫の中でその任務をもっとも巧みに遂行できる者を選ばないで、籤に当たったものがそうしなければならないかのように思って、籤引きをするようなものだ。


ソシュール

 言語の起源の問題とは、とりもなおさず言語の変形の問題にほかならない。


kimurabin 2011/04/24 23:56
 4月22日にニコライ堂にいってお参りをしてきました。八重洲ブックセンターで『世界史の構造』を買ってゆっくりよみすすめています。カントの『純粋理性批判』もよみすすめています。原祐訳でなかなかよみごたえがあります。
 小説を書くにあたって柄谷行人先生と対話してみたいという希望があります。
先生はいそがしいかもしれませんが、どうしたら善いでしょうか
http://d.hatena.ne.jp/kimurabin/


sasaki_makoto 2011/04/25 00:20
柄谷氏は今日の反原発デモに来てましたが
話をしたいなら、以下の6月18日(土)の
朝日カルチャーセンター湘南(藤沢)で
質問や講義後で可能だと思います。
http://www.asahiculture.com/LES/detail.asp?CNO=121087&userflg=0

僕は以前、八重洲ブックセンターで『探究II』や批評空間・合本を買いました。
89年の早稲田祭で前者に柄谷氏にサインして貰いました。


New York Times


子安宣邦 Nobukuni_Koyasu

2011年04月23日(土)
だが「中華民族」とは現実には、チベットやウィグルにとって公安的暴力を意味するものでしかない。Wang Huiが出した回答は絵空事である。「中華民族という概念は人民主権の概念と一緒に生まれたもの」だと彼はいう。だが今中国で「人民主権」をいうものは国家転覆罪で獄中にいるのではないか。
posted at 15:03:38

チベット僧の寺院封じ込め事件の報道を聞きながら、Wang Huiの「チベット論」(『世界史のなかの中国』青土社、2011)を読んだ。西のオリエンタリズム、20世紀的国際関係が構成する「チベット問題」に、21世紀中国から「多元一体」としての「中華民族」的国家という答えを彼は出す。
posted at 14:55:24

2011年04月20日(水)
岩波から何も聞こえてこない。静かである。何も変えない、変わらないということか。『最後の審判を生き延びて』という悪訳のタイトルの書をもって、獄中の劉暁波を責め続けることに決めたのだろう。
posted at 11:52:29