柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人「地震と日本」

柄谷行人 「地震と日本」 で曰く 『現代思想』2011、5  
・・・・・・・地震がもたらしたのは、日本の破滅ではなく、新生である。おそらく、人は廃墟の上でしか、新たな道に踏み込む勇気を得られないのだ。
http://natsuuguis.exblog.jp/13488885


アレクシス・ド・トクヴィルアンシャン・レジームと革命』
(井伊玄太郎訳、講談社学術文庫

 というのも、この(民主主義的あるいは平等主義的)専制政治は市民からすべての共通の情熱、相互的欲求、相互理解の必要性、一緒に行動する機会をとり上げてしまうからである。


コンラッドの『闇の奥』にクルツという人物が出てくるようだが
これを原作とした映画『地獄の黙示録』のカーツの事か。
コンラッドはサイードが初期に研究していたと思う。


ジョゼフ・コンラッド『闇の奥』

 旅行が企画されたのは、私がクルツ氏と話をすることができるようにと、そのためだけだった。……まさしくそれが、私が予定していたことだと私はわかった――クルツとの会話である。

 河を遡っていくのは、いわば、世界の太古へと立ち戻ることだった。

 私たちは太古の夜の中を旅していた。


地獄の黙示録 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%8D%84%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2


トドロフ井筒俊彦に言及している。


ツヴェタン・トドロフ『言説の諸ジャンル』(小林文生訳、法政大学出版局

 別の呪術的言語活動理論家である井筒俊彦は、同様の一般化への方向へと向かう。

 したがって、井筒の著書は、魔術師の専売特許である風変わりな呪文よりも、根源的な言語操作により多く関係している。

 異論の余地のない好意的的表現という比較的狭い枠から外に出て、(井筒がしたように、といっても別の違う道を経た後のことだが)すべての記述的言説は――このことはまた、単純に言説はことごとくという意味だが――呪術的局面をもっていると認めるべきである。


山口二郎 街頭の民主主義 http://t.co/i7BaZ23