柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

反資本主義的な代案的な経済

デヴィッド・グレーバー『アナーキスト人類学のための断章』
(高祖岩三郎訳、以文社

だがおそらくもっとも面白い事例は、ラドクリフ‐ブラウンの同時代人で、フランス人類学の創始者と言われるマルセル・モース(一八七二―一九五〇)であろう。

彼は革命的社会主義者であった。生涯にわたってパリで消費者協同組合を運営し、社会主義者の新聞に長談義を寄稿した。他国の協同組合を研究し、反資本主義的な代案的(オルタナティヴ)な経済を構築するために各協同組合を繋げようと試みた。

もしヨーロッパにおいてもっとも貨幣に犯されていないロシアにおいてさえ、単純に貨幣経済を廃止することができないなら、革命家たちがなさねばならないのは、市場とはいったいどのような怪物なのか、資本主義に対する現実的な代案(オルタナティヴ)とは一体どのようなものなのか理解するために、民族学的資料を調査することである、と主張した。つまりそれが一九五二年に書かれた『贈与論*』である。その主要な論旨は――あらゆる契約の起源は、条件ぬきに他者の必要性に奉仕するという意味での共産主義にある。凡百の経済学の教科書が主張することとは裏腹に、物々交換(バーター)にもとづいた経済など存在しない。現存する貨幣に依存しない社会とは、贈与の社会であり、そこでは現在われわれがこだわっている「利己主義と利他主義」、「人とその所有物」、「自由と義務」などの区別は存在しなかった――等々、である。
 モースは、社会主義の構築は、国家の厳命によってではなく、下から漸進的にのみ実現可能だと信じていた。相互扶助と自己組織化によって、新しい社会を古い社会の殻の中で構築することは可能だと信じていた。実存する大衆的実践こそが、資本主義の道徳的批判にとっても、未来社会がどのようなものになるか垣間見せるためにも、土台になると彼は感じていた。これらすべては古典的なアナーキスト的信条である。

* 『社会学と人類学1』所収、有地亨・伊藤昌司・山口俊夫訳、弘文堂、一九七三年。


佐藤優「真のリーダーシップは「対話」の中から生まれる。」
「潮」2011年7月号

創価学会とは別の信仰を持つ一人の宗教人として、筆者は中間団体である創価学会が民主主義の砦であると確信している。


江戸屋猫八百「裁きとしての災害――『災害ユートピア』について」
http://d.hatena.ne.jp/edoyaneko800/20110530
柄谷行人は――明らかにクロポトキンの影響が感じられる――「互酬原理にもとづく世界システム」というべき「世界共和国」が成立する一過程として、「第三次世界大戦」の可能性を述べていた。(『世界史の構造』)


西島建男 柄谷行人『世界史の構造』
http://d.hatena.ne.jp/nisijimadokusyo/20110601