柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

預言者と予言者

ハンナ・アレント『政治の約束』(ジェローム・コーン編、高橋勇夫訳、筑摩書房

しかしもっぱら哲学者だけの観点から国家(コモンウェルス)を企画しようと勇を鼓した哲学者はプラトンだけであったし、しかも、事実上、この企画は哲学者たちからさえ、大して真面目に受け取られなかった。

「偉大なる行為の実践者にして偉大なる言葉の語り手」と称されたアキレウスのような英雄は詩人を――神意を伝える預言者(prophet)ではなく、本質を見通す予言者(seer)を――必要とした。

他方、歴史は、自分が何をしているのかまったく知らないのに、結果としてつねに、いわば自分が意図したり欲したりしていたものとは異なる何かを生み出してしまう人間によって作られるのだが、その歴史がそれでも筋が通るものだったり、意味を伝える物語になってしまうことを説明するために、カントとヘーゲルの場合は、「自然の策略」とか「理性の狡知」といった、人間の背後ではたらく秘密の力が、デウス・エクス・マキナとして必要とされていた。

 周知のとおり、マルクスにおいて「理性の狡知」に取って代わるのは、階級的利害という意味での利害(インタレスト)である。

外交政策についてはどうかと言えば、その起源は世紀の変わり目にあった帝国主義的領土拡張の最初の数十年間に見出されるだろう。その時代、国民国家(ネイション・ステイト)は、国民(ネイション)ではなく国家の(ナショナル)経済的利益のために、世界中にヨーロッパの支配を拡大し始めたのである。

私たちが、或る自由な機構を意味するギリシア語「イソノミア isonomia」を、「法の前の平等」が意味する事柄と誤解したのも、そのせいだった。しかし「イソノミア」は、法の前ではすべての人々が平等であるとか、法は万人にとって同じであるということを意味していない。それが意味しているのはただ、すべての人々が政治的活動力を有する同等の資格を有し、ポリス内ではこの活動力は、第一に、互いに語り合うという形式を取った、ということだけなのである。したがって「イソノミア」は本質的には平等な言論の権利のことであり、それ自体としては「イセゴリア isegoria」と同じものなのである。

したがってギリシア人たちは、いかなる僭主の支配からも免れた自由ポリスの中心的概念――すなわち「イソノミア(法の前の平等)」と「イセゴリア(言論の自由)」の概念――ホメロスの時代にまで遡らせるのに何の苦労もいらなかったのである。


マルクスフォイエルバッハに関する第十一テーゼ」

哲学者たちは世界を様々に解釈してきたのにすぎない。しかし肝心なのはそれを変えることなのである。