柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

Re: ユダヤ教とイスラム教について 2011年11月07日 21時14分

拝復 佐々木様

また浅学菲才の私に難題を仰せですね(笑)。
これだけで上・中・下3冊の本が書けそうです。
かなり暴力的に要約します。
まず『クルアーン』に「ユダヤ教徒を憎め」とちゃんと書いてあるんです(笑)。これはムハマンドがシリア付近にいたユダヤ人たちに「こいつらも偶像崇拝を否定しているから簡単に布教できるだろう」と思ったら、そうではなかったので逆恨みです(『クルアーン』は良しに着け悪しきに着け極めて人間的な部分が多い「聖典」です)。イスラームの変革は常にセラフィー(復古、つまり原理)かスーフィー(神秘主義)の形で起こります。セラフィーの場合は、
そうせざるを得ません。
次に、強固なムスリムにはペルシャ人という意識はイラン人にもイラク人にもほとんどないでしょう。わざわざササン朝ペルシャという国を滅ぼしたのですから。ただ、フセインが一時ダモレスク大王の化身を名乗っていたので案外いい加減かもしれません。アラブ社会主義が流行した時期もありましたからね。
要するにイスラエルが滅ぼせればいいのです。結局パレスチナ問題に帰着します。
これは同じアラブ人・ムスリムだという意識(彼らはすべてムスリムではありませんから)と、エルサレムにはムハンマドが昇天したという地、岩のモスクがあるということによります。
だから国連の当初の提案通り、国際管理地にしておけばよかったものを、よりにもよってユダヤ教徒が占領してしまった。
そもそも、聖地に異教徒の軍隊がいること自体、セラフィー主義者には我慢ならないことです。「ビン・ラディン発言」という本がありますが彼の発言、声明の三〜四分の一は最大の聖地メッカとメディナのあるサウジアラビアに米軍を受け容れたサウジアラビア政府への批判に向けられています。だから彼は追放されたのです。

とりあえず今の知識ではこれぐらいでしょうか。旧約のユダヤ教徒と旧約新約のキリスト教徒がなぜ憎みあったかも興味深いテーマですね。

とりあえず今回はこれぐらいでお許しください。

敬具

追記:最近、小林秀雄を読んでいるのですが、柄谷行人にとって最大のコンプレックスは結局彼のような気がします。いかがお考えですか?