柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

柄谷行人を<解体>する 351-500

http://mimizun.com/log/2ch/philo/1000894156/
351 :350:02/03/06 23:54
つけたし。
>>349
すっごい失礼だということに気づいた。
「かならずしもあなたに向けられたもの」→ 「かならずしもあなただけに
向けられたもの」に訂正。訂正してもなお失礼だな。いづれにせよ失礼をば 
お詫びします。

352 :350:02/03/07 00:44
謹慎の意味もこめて、しばらく(今度こそ!)、書き込みを自粛します。 
レス(まともなもの、ひどいもの)にはレスしませんので、御了承を。

許可なくリンクをつけるけど、次の古い記事
http://www.rondan.co.jp/html/dokusho/itoman/mokuji.html
これが必ずしも象徴だとは思わない。繊維という斜陽の衰退産業への
メインバンクによる再建政策が成功のうちに悲惨なものに移るという
過程を内側から報告している。商人資本だろうが産業資本だろうが
利潤をとれるならば資本主義だという考えは環境においては、このように    
残酷なものになるということの一つの症例(抛っておいても潰れたという 
考えもあるかもしれないが)。かつメインバンク・システムの一つの 
挫折をも象徴しているのかもしれない。あまりにもおもしろいので、
みなにも読んでほしいです。(もっとも書き手は三代にもわたる
伊藤萬社員だから、住銀・金融資本側には辛辣になる傾向があるんだけど)。

353 :考える名無しさん:02/03/07 01:10
>>350
差異を擁護する、というのは、所謂「まれびと」信仰のような意味でしょうか?

354 :「探求」第3、4回:02/03/07 22:08
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-3.html
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-4.html

第3回に、『資本論』から
「彼らはそれを意識していないが、そう行うのだ。」
が引用されてました。

また、「意識と自然」によれば、
「意識」「自然」「外部」は、
漱石の『道草』に出てきた言葉でした。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/ishiki-2.html

こういうのもあります。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/rock.html

355 :考える名無しさん:02/03/08 01:02
左翼運動畑の人間が、
無理にハスミを読むことはないと思う。
彼はたまたま『海』つながりで文壇に関わったにすぎない面もあるし、
あの映画批評はむしろ、
佐々木基一路線との対比で理解すべき。
今やシネフィルがひたすら気持ち悪いのは、
批評空間webでも明らかだが。

356 :352:02/03/08 02:07
自粛をやめさせていただきます(自粛や退場の宣言は意味ない、
とも思う)。この点については熟慮したいです。
>>355
あなたはいつもシャープですね。プロでしょ?。プロがこういう
掲示板に書き込むことについては心配もあります。
いろいろ噂をたてられやしないかという。
>>353
もひとつ、意味がわかりません。
>>352
「三代にわたる社員」ではない。また、伊藤萬は問屋であって、流通資本。
>>339
「軍隊の叛乱の制御」→「軍隊・正規軍の分裂への制御・抑止」。

357 :356:02/03/08 05:41
俺の書いたことを煽りだと勘違いして不粋な詮索や勘ぐりの出てこない
ことを強く望む(心のなかで思うのは自由だが、実際にそれを書き込む
のはよそう)。そもそも俺の下世話な妄想であることの方が可能性が
高いんだから(欲望=転移ではないつもりだが)。嵩の知れるような
ことはやめようね。

358 :357:02/03/08 10:06
天皇についての幾つかの。
1:天皇は所詮は関西ローカルの存在にすぎない。被差別部落天皇の陰画、
objet peti aのようなものだが(?)、後者は近畿や西日本に顕著にあるものに
すぎない。(被差別部落についての考察は、黒田俊雄、大山喬平、網野
善彦、脇田晴子、丹生谷哲一などでも差異はある。柄谷がひいた石尾芳久の
ような考えはあたかも羽仁五郎的な疎外論だな。中上がそんなに馬鹿か?。
鈴木とはもともと熊野三山の神人として著明な姓だ。その神人が一向一揆
参加したという可能性はあるかもしれない)。そのローカル性を例えば
水戸学派の観念論者にはわからない。かれらは符牒で一致させているだけの
話だ。
2:しかし一方、廃藩置県が容易に行われたなど、日本の土地や役職は天皇
帰属するという思想はあったのではないかという論駁。ここからはトンデモ
話になるかもしれない。アジアの神話などで、神々が土地・領土を産出した
という例は日本の他にあるのかという問題。福永光司によれば日本の神話
には道教の文献に依拠した証拠が明白だそうなのだが、編纂者はそれだけ
でなく、景教などいろんな文献を読んでいたのではないかという推測。
景教とは公会議に排除されたシリアのネストリウス派の単神論の基督教。
 中国に伝来していたとの話がある)。
例によって放言なので、使用するときは調査した上で。

359 :358:02/03/08 17:06
いくつかの初心者の質問。
1:スガが『花田清輝』を書いたのは、津村が新日本文学に入会したことと
間接的に関係があるのか?
2:吉本の「自立」って、共産党にも新左翼セクトにもつかないという意味
か?。
3:森毅(かれも花田ファンの一人だが)の『ボクの京大物語』(福武
文庫)での、上田正昭を団交などで吊るし上げて、のちに大阪女子大の
助教授になったってのは、市田良彦のことか?
4:森毅のジャーナリズムでの活動には、間接的に、早逝した小針あき宏
(『数学の七つの迷信』・東京図書)の影響もあるのか?
5:叛旗派は選挙をとりいれたり、自主解散したり、なかなかいい線を
いっていると思われるが、どうなの?(しかし神津氏のアクの強い文章は
ちょっと、気疲れさせられる)。かれらの共同体論には違和感もあるが。

360 :考える名無しさん:02/03/08 19:51
これ http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/karatani41.html
を見て、柄谷がダレルのアレキサンドリア・カルテットについて論文を書いていることを
はじめて知ったんだけど、どんなこと書いてるんだろう?



361 :考える名無しさん:02/03/09 08:14
今年の柄谷さん関連のシンポジウム情報きぼーん。

362 :354:02/03/09 12:17
アレキサンドリア〜」は、「国文学の鑑賞」?の柄谷特集で
読みましたが良く覚えていません。今度、批評空間が出す
柄谷行人初期論文集』に載るみたいです。
その論文については「飛躍と転回」などで語ってますね。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/hiyaku.html

柄谷の初期の仕事と英文学の関わりは興味あります。
「意識と自然」も「マクベス論」も
エリオットのシェークスピア論への言及がありますね。

「重力」の掲示板で質問をすれば、
鎌田哲哉が返事を書いてくれるかもしません。
http://www.bungaku.net/juryoku/

シンポジウムの情報は、僕も希望します。

津村喬は、「近代の超克」の津村秀夫の息子ですか?

363 :考える名無しさん:02/03/09 12:25
柄谷行人初期論文集』なんて出すの?

もはや井上用水みたいなノリだな。

364 :359,179,194:02/03/09 17:54
中沢新一「緑の資本論」(今月号の「すばる」に掲載)を立ち読みした。
なかなかおもしろかったよ。最後のスークについてのところ、実際に
訪問して黒田壽郎や黒田美代子の書いていることが正確なのかどうか
を検証してくれれば、もっと、よかった。でも人はこの論文をマオイズムの
志向と変わらないってつっこみを入れるんだろうな。ロマンティックだ
ということはあるのかもしれない。いや、あるんだろうな。
ゆえあって坂口弘あさま山荘1972」(下)を読み返しているけど
(上巻をまだもっていない)、かれらの躓きは一義性を単純に捉えたことに 
あるのかなって、とも思った。
どうでもいい日記のような書き込み、ごめん。
>>362
津村はペンネーム。労働運動家の高野実の息子。猪俣との関係は、
早稲田つながりかな。

365 :360:02/03/09 22:51
情報感謝。
なかなか面白そうだなあ。こんど『国文学の鑑賞』で読んでみよう。

366 :エラー:02/03/09 23:03
システム エラーが発生しました。

このスレッドには現在書き込みが出来ません。
          

367 :「探求」第5回:02/03/09 23:36
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-5.html

>>318
水曜に、今月末に閉店するT-ZONE渋谷で読みました。
「60で書くのをやめる」とは、何かの対談でも言ってたらしいです。
シキシマさんは、青山真治みたいな柄谷ファンなんでしょうね。

天皇に関して書きたかった事ですが、
金正男密入国」が4月29日、
「不審船」が12月23日に近かったのは
偶然ではないと思います。テポドンはいつでしたか。

368 :考える名無しさん:02/03/10 00:10
この志紀島啓ってのはものすごくサムいんですけど
なんなの?

369 :364:02/03/10 04:50
『持ちつ持たれつのそのやりとりによって(引用者注:青山氏のゼミ)、
我々が作ろうとしているのは<戦後のヴィジョン>としての作品である。
<戦後のヴィジョン>とは、一言で言えば(言えるはずもないのだが)、
「死者の倫理的視覚化」である。映像と倫理の問題は、技術の進歩と
共にかつてより一層問われなければならないわけで、我々はその点を
実際の作品作りを通して問おうとしている』(青山真治朝日新聞夕刊
3/8.02)。
ナイーヴだけど、蓮実より良心的?だよな。


370 :イス:02/03/11 04:55
中沢新一の論文 買おうと思ってるのですが、買う価値あります?
立ち読みでオッケー?



371 :364:02/03/11 06:36
>>370
買う方がいいでしょう。俺は金がなかったから立ち読みしただけで。
おもしろいですよ。中沢氏の剛腕が感じられて。ただ手持ちの材料で
順列組み合わせをしたという印象はある。

ところで関係ない話だけど(また卑劣なことをさせて頂きます)
掲示板へのピョコラ.アナログ.という人の書き込み:
『「臨床への視座を欠くラカン受容」という表現は、本来は臨床理論である 
はずのラカン理論が、日本ではどうしても定着していないという意味で
用いました。病的な感性のある人であれば、ラカンの著作にしても、或は
ドゥルーズガタリの著作にしても、そこに、精神病/狂気(alienation) 
の本質的な部分に肉薄する、思考のダイナミズムを感じ取ることができる
はずなのですが、私がそれまで接してきたラカン論者、ドゥルーズ論者
にはそうした感性が全く抜け落ちていました。』
京大・名古屋大のラカン派はもともと精神病理学論者で最初から、
分裂病(最近は統合失調症に更名された)への治療理論としてラカン
摂取しているんだけど、仏文系にはよくもわるくもそういう切実性は
あまり、ない。(東君は転移を鏡像的に捉えている箇所があるが転移は
むしろ象徴的なものと関わるのでは?。それはモデル-ライヴァル 
だとか複合感情だとか、そういうものではない。東君のフロイト解釈は
啓蒙的だけど、ちょっと、違和感がのこる)。(「協会」問題には全然
興味なく引用したんで御了承を)。

372 :364(つけたし):02/03/11 07:06
俺も近いうちに買います。

373 :371:02/03/11 08:44
ただジジェクを擁護するところがあるとすれば次のような挿入部。
『理論を治療の役に立てることで、修正主義はその弁証法的緊張を消し
去る。疎外された社会では、治療は究極的に失敗する定めであり、この
失敗の理由は理論そのものからもたらされる。治療の「成功」は、患者の
「正常化」、患者の現存する社会への「正常な」機能への適応であるのに
対し、精神分析の理論の決定的な成果は、まさに「心の病」がまさに
現存する社会秩序の構造から結果するいきさつを説明するものなのだ。
つまり個人の「狂気」は、しかじかの文明に固有の「不満」にもとづいて
いる。だから理論が治療に従属することは、精神分析の批判的次元の喪失を 
必要とするのだ。(中略)。治療が成功するのは、それが必要でない社会
においてのみである---つまり「心の疎外」を生み出さない社会において
のみである。(中略)。ここ(引用先)に特殊なタイプの「失敗した遭遇」 
がある。精神分析治療は、それが可能でないところだけで必要なのであり、
それがもはや必要のないところだけで可能だということだ』(松浦俊輔訳
だったと思う)。 
といってもこれは疎外論だけどね。ただ名古屋や京都などの東京の
「周縁部」(の小中心)でラカン受容が促進されたこともなんらかの
社会的な因果関係があるのかなあ。そう言い切ることには問題があるが。

374 :「探求」第6回:02/03/12 22:41
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-6.html

柄谷行人 初期論集』、会社で注文してしまいました。
http://www.criticalspace.org/book/krtn_early.html

ジジェクは「批評空間」に良く載ってたのに、
柄谷が以前、紀伊國屋セミナーで
ジジェク?どうでもいい」と言ったのが意外でした。
東欧も「周縁」ですか。

375 :竹田青嗣の『批評とポスト・モダン』評:02/03/13 07:24
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/hihyou.html

85年のものですが、蓮実の『物語批判序説』とともに批評してました。



376 :21世紀の人文科学をめぐって:02/03/14 19:18
http://www.ichs.kindai.ac.jp/index1.html

講演:柄谷行人浅田彰岡崎乾二郎ほか

4月14日(日)18:00〜 紀伊國屋サザンシアター 入場無料

03-5361-3321で予約できます。

「探求」第7、8回
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-7.html
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-8.html

377 :373:02/03/15 04:56
笠井-東対談の二回目がでたぜよ。下劣な書き込みをしますわ。
柄谷の数多い対談でも柄谷-笠井対談(「ポストモダン批判」)は一番
おもしろいんじゃないか?。すくなくとも対談たりえている。
そこでも一義性の脱構築のことが話題になってんだけどさ。ところで
笠井の「マルクス葬送派」はわかんないんだけどね。笠井はルカーチ
立っているとはいえど、しかし一義性に依拠してんでしょ。でもさ、
袴田茂樹袴田陸奥男の息子だが)のロシア論なんかを読むと、
レーニン-スターリン主義ってのが、ロシアの特殊性に完全に依存して
いることがよくわかる。全然、世界的に一般性がないわけよ。なぜ
レーニン主義に日本の旧左翼新左翼かぎらず、いかれちゃったのかな。
グラムシライヒのみならず、ヴィーンにもマックス・アドラーなんて
いう、ケルゼンとまともに論戦しているマルクス主義者がいて日本に
紹介されていたのに、1917年以降はレーニン一色になっちゃう。これが
わからん。レーニンマルクスをマニュアル化しているが、あくまでも
ロシア的にマニュアル化している。それが発展か?。ジジェクが最近に
レーニンを反復する」なんて文章を出しているけど(webでも読める)、
やっぱ、わからん。少なくとも俺はレーニンにはうんざりだわ。(こんな 
ことを書くと、殺されるかな?)。(袴田が書いているが、日教組などの
方法にあったマカレンコ理論は完全にロシア的産物だということだ)。
袴田の方法それ自体を批判するというのなら、まだ話はわかるが。また
日本のレーニン主義がすべて徒労にすぎなかったとまでは言わない。もし
そうなら哀しすぎる。

378 :377(訂正):02/03/15 05:30
「1917年以降」→「1929年頃以降?」。
佐野学は1930年出版のかれの全集第一巻ですでにアドラーを批判して
いるが。レーニンをone of themではなくonly oneとして神格化した
のは、スターリンの党内の覇権掌握以後のはずだ。(?)

379 :考える名無しさん:02/03/15 10:14
外部とか社会システムに制御された自律性のない人間の定義だとか、まったく
魅力ないなあ。やっぱり、ファシズムの香りがするわ。

380 :378:02/03/15 13:48
>>379
これは俺への批判ですね。こういう言及は歓迎ですよ。「ファシズム
香り」という指摘にも感謝します。矛盾するようですが、私もそれを
心配はしているんですよ。
社会についての考察で、社会実在説と社会唯名説とがありました(小泉
義之「デカルト=哲学のすすめ」から借用する)。私はどちらかといえば
社会実在説です。それは社会構造が生得的にあるといっているのではなく、
実際にあるんだから認めざるをえないということです。勿論、それで個人の
責任が消失するわけではないし、自律性がまったくなくなるわけでは
ないでしょう。しかし自律性が完全にあるとも私は言い切れません。ここは
いろいろ追究したいこともあるんですが、スペースが足りません。私は
あなたよりもおそらくもっとプラグマティストでして、中途半端で、曖昧に
見えるところにいます。個人のアトム性についての認定があなたと私とでは
違うのかもしれません。ただ私の方があなたより保守主義であることは
事実かもしれませんね。



381 :380:02/03/15 14:01
書き忘れ:
自分自身の経験として、場所を移して住むと、振る舞いのみならず
心の状態(趣味、嗜好、生理)も変わるという怖い(?)事実への驚愕と
記憶とが俺にはあります。これが俺のプロブレマティックです。すでに
藤岡喜愛氏、福井勝義氏などの仕事が先駆しています(しかしそこには
精神分析がない)。しかし、これは個人のアトム性とは関係のないと
いう指摘もありえます。しかしこれ以上ゆくと、神学に近くなりますから、
やめておきましょう。

382 :380:02/03/15 14:25
ぐるりと回った話をすれば、津村喬が藤岡喜愛に親炙があったこと
(『魂が癒されるとき』。帯津良一と共著。タイトルがいかがわしい
ことは俺の責任じゃねえ)を知ったときは、これは問題意識が違うかも
しれないが、唸った。生意気な言い方だが、津村、やるなあと思わざるを
えなかった。(381とこれは告白じみたかな。俺が病的だという)。

383 :考える名無しさん:02/03/15 14:40
>380,381
あなたの考える社会実在説は、ハイデガーの「世界内存在」やフッサー
ルのいう「生活世界」という考えに近いですね。人間は環境に影響を受
けて生きているというのは、確かにあります。
しかし、人間はそれらの影響を超えて、自らを意識し、決断できる存在
でもあると思います。
柄谷は実存的な領域を、無視して言動している傾向を、私は感じていま
す。また、自分たちの組織NAMを資本主義に対置して、外部と言ってい
ます。柄谷の自論を展開すれば、NAMこそ、人間の自律性に取って代わ
るシステムだと言っていることになります。




384 :考える名無しさん:02/03/15 15:01
>383に追加
柄谷にとって、外部はNAMというより、自分たちが作る非資本主義体
でした。まあ、どっちのシステムにしろ、組織が人間を支配するわけ
で、自律性を奪うシステムが資本主義だろうが、非資本主義だろうが、
彼の思い描く社会システムに魅力は感じません。というのも、やはり
自分は自ら決断して生きていくことに、魅力を感じるからです。
その決断さえも、柄谷は外部がそうさせているのだと言うわけですが、
それを根拠付ける決定的な要因を、柄谷は提出できていないと思います。


385 :380:02/03/15 15:24
>>383,384
私はあなたと立場は違いますが、あなたはあなたの一貫性がある
ことはよくわかります。
柄谷氏についていえば、あなたの言及にかならずしも賛成では
ないのですが、正鵠を得ているところもありましょう。柄谷+笠井
対談にあるように、柄谷氏はブントの頃に経済決定論者に近い立場にいた
(その分で、倫理主義からは自由であった)ことを告白しています
から。でもそれはそれでいいんじゃないですか。それは柄谷氏の立場
ですから。私も実際はそれに親近感は勝手ながらあります。資本法則の
超越性は。しかし資本法則が行政や社会構造を無視して一貫するとまでは
考えていません(「屈曲」があると思うのです)。その立場もまた人
それぞれだとしかいえません。

386 :考える名無しさん:02/03/15 15:50
>>383 >>384
柄谷はむしろ実存(主義)に振れ過ぎているのでは?
その結果、彼のカント論が少し浮いてるんだと僕には思えるのだが。

387 :考える名無しさん:02/03/15 16:35
>386
柄谷氏のカント解釈は納得できていません。
資本主義には、倫理がない。だから、倫理を備えた経済システム、非資
本主義システムを確立しよう。それには、カントから道徳哲学を拝借し
よう。そんな考え方の筋道で、彼はカントを持ち出して、自分の自論に
権威性を与えようとしていると思われます。
彼なりのカント解釈によれば、「他者を手段としてのみならず、同時に
目的として扱え」が、倫理となります。しかし、こういう解釈では、カ
ントが定義した低次元の法則、仮言命法を超えません。カントが目指し
た高次元の定言的命法に到達できないわけです。
自分を目的として行為してもだめだ。同時に、他者を視野に入れ、他者
をも目的として行為せよ。そうすれば、普遍的な道徳行為がもたらされ
ると、カントは考えていたと、ぼくは解釈しています。
上記のような柄谷的カント解釈だと、人間はその行為において矛盾して
しまいますし、無意味だと思います。


388 :考える名無しさん:02/03/15 16:42
387の追加
カントが目指した道徳は、新約の「自分を愛するように、他人を愛せ
よ」というキリスト教の教えを、哲学で展開したんだと思います。
自分を愛すると同時に他者を愛する行為を行うこと、そこに道徳の普
遍性を見出したのではないか。そう思います。

389 :離党後NAM入党:02/03/15 16:51
>>387->>388

このようなですね、新カント派をさらに幼稚にしたようなですね
「倫理」などを前提にしてですね、
はたして柄谷の言うことなど理解できるのか、
私は、大変に疑問に思い、また同時にですね、
「自分の自論に権威性」とはいかがなものかと、
これは全国の人が見ているんですからね、思うんですが委員長!


390 :考える名無しさん:02/03/15 16:59
>389
中身のない攻撃はやめませんか?
議論らしい議論をしましょうよ。
どうせ、NAM会員でもないくせに。




391 :考える名無しさん:02/03/15 17:44
>>387->>388
柄谷を批判するにせよもう少し落ち着いて柄谷の本を読んだ方がいいですね。
それとは別に、あなたの信念は立派だと思います。



392 :考える名無しさん:02/03/15 18:02
>391
柄谷は読むのですが、首尾一貫性がないというのか、論理に弱さがある
というか、どうも説得力に欠けるなあというのが実感です。
ぼくが驚いたのは、やはりカントの道徳命法の解釈でしたね。彼はあの
個所だけを抜き出して、微妙な解釈してるわけですが、それも作者の死
によって可能になっているのですかね。

393 :考える名無しさん:02/03/15 18:07
>>392
それならそれでいいのでは。
あなたには信念があるのだから、それで十分と思われ。


394 :考える名無しさん:02/03/15 18:14
結局その不快感の合理性・普遍性を根拠できずにいる・・。
こちらが認めることもある、たる「対話」というものの「責任の移動」に依拠しているからいいようなものの、君自身、想像を投げかけては「漸近してきた」わけだ。

誤ってみる。
あとでちかづくように誤ってみる、それを止める。
己の「視界」を振りかざす点では、その段階までしか読まれない、そういう読書において、等価といえなくもないのだ。
だから修正を求めて否定すればするほど、その独善性は「誇張」されてゆく。

これが笑わずにいられるか。

そんなふうに笑えない話を真顔で語るような、こちらには悲しい、多分に犠牲者として悲しくもあろう時世なのだ。
しかし、愚痴は「乱」の玉子であるから、あとは有精卵であることを、独善的に期待するまでである。
(ヒキコそのものが、組織だたない、そう在ることを体現した革命だ、と云えなくもなかろう)

(比喩は情報量が多いため、書き手には管理しきれずに誤解を招く元凶ともなるが、ひとたび読み手が即して考えようとして、その(或る)陥穽に乗ったなら、
比喩が多層的に裏の意味を兼ねる場合もあるので、要注意だ。御参考までに(腹々・・)


395 :385:02/03/15 18:28
>>387,388
もっと展開してもいいのでは?。これだけではわからない。

396 :395:02/03/15 18:51
>>394
誤配の問題は東君の「存在論的、郵便的」でも扱われていた
と思うんだが。誤配はしょうがねえよ、肯定しよう。
東君のあの書物は連帯(?)についての原理的考察ということで
政治論だとも思う。

397 :395:02/03/15 18:54
といっても、誤配にも限度・程度はあるが。

398 :考える名無しさん:02/03/15 19:01
>395
ぼくからすれば、柄谷のいうカント解釈がわからない。「他者を手
段としてのみならず、同時に 目的として扱え」なんて、意味不明。
まあ、無理やりに解釈すると、仮言命法の領域だよなあ。そこどまり。

399 :考える名無しさん:02/03/15 19:08
>>396
複数の超越論性のプランはどうなったんだろうか?
なにか展開ありました?

400 :395:02/03/15 19:19
>>398
柄谷のカント論を読み返してみますわ。でもその一点
だけじゃ、論不足の観はあるよ(君はその点が根本的だという
のだろうが)。でも、どんどん書き込んでね。といっても
俺も寄宿者で俺がたちあげたスレではないが。
>>399
あなたが考えて無理だったらば俺も無理ですよ。
消極的にはあるんでしょ。しかし積極的に複数の超越論性は
あるのか?。芸術だとかか。科学か。俺は多数人格なんかは
認めたくないけど。



401 :考える名無しさん:02/03/15 20:16
http://gooside.com/2226/ap.swf

http://203.174.72.112/mmkanzaki/kanzaki.swf


402 :21世紀の人文科学をめぐって:02/03/15 20:23
http://creative.cside2.jp/kindai/ich/tcc/event.html
こちらの方が直接ですね。

僕は「国際人文科学研究所長」なんて、
梅原猛になるのか、近大をコロンビア大学にするのか?
と思いました。

「探究」第9回。「探求」は間違いでした。
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-9.html

403 :考える名無しさん:02/03/15 20:27
72年の「孤独なる制覇」という文章の一部です。
http://karame.kiss1.net/burakura_1.html

「日本がワールドカップ出場を決めたテレビ中継が
韓国で高視聴率だった」という話を、柄谷が書くのと
久米宏が言うのでは違うのはなぜだろう、とは思います。
http://karame.kiss1.net/burakura_2.html

404 :考える名無し:02/03/15 21:42
柄谷の「他者を手段としてのみならず、同時に 目的として扱え」とい
うカント解釈からは、ごっそり自分自身のためという目的が抜け落ちて
いる。
僕はカントは普遍性を獲得するために、自分とさらには同時に他者の
ために行為せよと考えたと解釈している。
柄谷は、さらに他者を未来の他者、そして死んでしまった過去の他者と
して定義する。そういう他者のために行為せよというわけだ。つまり柄
谷のいう他者は、完全な外部に位置し、神とか国家とか理念とかを意味
するようになる。これは、ファシズムを生み出す十分な土壌になると思
う。
自分のために生きることは、柄谷にとっては倫理ではない。それは、資
本のように悪だということになるだろう。

405 :考える名無しさん:02/03/15 22:03
>>403
哲版だしこのスレの趣旨上何の疑いもなく・・・

406 :考える名無しさん:02/03/15 22:04
>>403
ブラクラ

407 :400:02/03/15 22:10
>>404
なるほど。かたちに、明確になってきましたね。

>>377
俺は柄谷ー笠井対談が一番おもしろいと書いたけど、
谷川雁との対談(1991年頃の「すばる」だったか)を読み
そこねた。あれも重要な対談だったはず。

408 :考える名無しさん:02/03/15 22:13
>>406
なんかそんな感じだけどタスクの方で閉じたら消えたよ
キミも一回踏んでみな!

409 :考える名無しさん:02/03/16 00:29
>>404
柄谷の〈自由〉という問題をオミットしましたね。
これは致命的。

410 :考える名無しさん:02/03/16 04:05
>>388
でも自己嫌悪・自己犠牲・自己批判をするように、
他人を嫌悪・犠牲・批判すると言う事と同じと思われ。

他者を道具として扱えと言う事は、ぶっちゃけた話、
他人を剣道家にとっての竹刀のように自分の一部及び延長(道具)として扱う事だが、
他者を目的として扱えと言うのは、
「汝の敵を愛せ」と言うキリスト教の教えのように、
他人を自分のように愛する博愛精神と言うのではなく、
逆に自分を他人とみなしているだけで、
他人の為にしている事が普遍的(皆の為)であればあるほど、
自分に返ってくると言う典型的な共同体意識・共産主義だと思われ。
例えば、ぶっちゃけた話。
自分の住んでいる所では民放チャンネルが見れないから見たい!とか、
光ケーブルのブロードバンドがないから欲しい!と個人が騒いだところで、
テレビ局やNHKは動いてくれないが、
それを恰も大多数の庶民が求めているかのように嘆願し、
庶民には民放チャンネルや光ケーブルが導入された場合の利点を伝える事により、
ある種のムーブメント(ブーム)を起こし、導入させる事に成功するが、
結果的に一番欲しがってた自分が満足すると言う事。
自分の欲求を社会要求に摩り替えているだけである。
しかしそれがエスカレートすると個人=組織=社会の境界線が希薄になり、
全体主義に陥る。ここまでくると右翼も左翼も変わらない。
まぁここまで来た時点で、
自分と社会の見境が付かないくらいの精神分裂病になってるわけだから、
何を言っても聞かないだろうね。







411 :考える名無しさん:02/03/16 04:28
NAMはエゴイストのアソシエーションらしいから
ムネオや松山千春もNAM入り確定でしょ、柄谷さん。

412 :407:02/03/16 13:45
404さん(あなたは383以来の一連の人ですね?)、念のために書いて
おきますが、NAMに入りたいならば入ればいいのだし、
入りたくないのなら入らなければいいということをは
確認しておきたい。入りたいのに公理に同意できないから
入れないという立場もあるかもしれないが、それならば公理の
改善を待つか、入ってその努力をするかです。それともあなたは
会員のかたですか?。NAMに対するあなたの批難はよくわからない。
(私は会員ではありませんが)。

413 :407:02/03/16 14:06
>>404
それと「ファシズム」という概念を検討抜きに濫用することをは、
やはり、もっと警戒するべきです。なめられますよ。

414 :「探究」第7、11回:02/03/16 14:07
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-7.html
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-11.html

第7回で「力」について述べていました。
梅原、柄谷、浅田、ドゥルーズ
ニーチェで論じることもできるんでしょうか。
また、第11回によれば、ヴィトゲンシュタイン
ゲーデルについて述べていたようです。

僕は、来月でNAMの会員の期限が切れますが、
とりあえず延長するつもりはありません。

415 :考える名無し:02/03/16 15:40
>410
「自分を他人とみなしているだけで、他人の為にしている事が普遍的(皆の為)
であればあるほど、自分に返ってくると言う典型的な共同体意識・共産主義

この考え方は、自分を目的にすることと同時に他者を目的にすることとまった
く同じ意味ではないでしょうか。
>412
ぼくはNAM会員ではありません。
だれになめられるのでしょうか? 受けてたちます。

416 :412:02/03/16 17:09
>>383
「しかし、人間はそれらの影響を超えて、自らを意識し、
決断できる存在でもあると思います。」→高橋源の揶揄する
実篤的だよ。「人間」と「私」とが直結している。
「柄谷は実存的な領域を、無視して言動している傾向を、
私は感じています。(中略)。柄谷の自論を展開すれば、
NAMこそ、人間の自律性に取って代わるシステムだと
言っていることになります。」→これは意味不明である
(というより妄想にちかい)。柄谷を擁護するいわれは
ないが、柄谷がアンチノミーの基礎問題を無視していると
解釈しているつもりか?。
>>404
「柄谷は、さらに他者を未来の他者、そして死んでしまった
過去の他者として定義する。そういう他者のために行為せよ
というわけだ。(中略)。自分のために生きることは、
柄谷にとっては倫理ではない。」
→どこからこういう読解がでてくるのか、まったく、
わからない。しかもそれをなぜ柄谷に許可を求めるのか
わからない。

でもなんだか青くせえ議論だな。
ファシズム」だとか、そういう重要で危険な概念を、便利だとして
安易に使うべきではないということだ。

417 :広松渉:02/03/16 17:28
http://muvc.net/iijimaai/

418 :考える名無しさん:02/03/16 17:56
>>404さん
書き込みを大体拝見させていただきました。創価学会員だったの、
京大卒だなんてのはいくらでも嘘つけますが、梶山先生云々の板
であなたが紹介していた自分の論文は、かつて某B大学に提出さ
れたI君の修士論文の内容と細部に至るまで瓜二つなのですね、
これが。I君と君は同一人物なのでしょうか? 羊羹屋というの
もB大学の君の世代以外知らないことです。同一人物でないとい
うなら、君はI君の修士論文剽窃していることになってしまい
ますね。君、もしくは君のまわりにはIP抜きを吹聴する人がい
るようですね。本当なら、私は全くかまいませんので、私のIP
抜いてアドレスを調べ、私宛にメールを下さい。待っています。
古き知り合いかもしれない者より。


419 :417:02/03/16 23:40
>>404
君のいっていることで、いくつか、わからないことがある。
1:「他人を手段としてのみだけでなく同時に目的として」は
柄谷の言葉ではない。そもそもこれはカントの言葉だということ。
2:NAMのサイトの柄谷氏の「孤立をもとめて連帯をおそれず」の
エッセイふたつもあるし、君がなぜそんな誤読をわざとするのか、
わからない。俺は「エゴイスト」という言葉を使うことには疑問は
あるけどね。
3:これは俺が経験論者だからかもしれないが、どんな定言的命法でも
それが現象として現れたかぎりでは(現れざるをえない)、それに同意
するかいなかは、個人の選択に委ねられる。その選択が主観や錯覚に
すぎないとしても。あなたの道徳がどんなに立派でもそれを無条件で
他人に内在させるかぎりその道徳は背反する。もっともカントは自由を
法則に服従することだと規定しているからこれについては反論はあるだ
ろうが。(ああ、青くせえことを書いちまうんだよなあ。自己嫌悪するよ。 
自分だとか他人だとか、そんなこと、俺はどうでもいいんだけど)。
あるいはカントの考えている国家がどの程度の規模のものなのか、俺には
わからない。
4:君がアンチノミー(主体と因果性との)のことと資本主義との関係を
どう捉えているのか、わからない。君はすでに資本主義の現実性を
超えているのか?。それこそ主観だと思うんだが。

誰だったか、NAM東京での学習会で、柄谷氏のカント利用についての
危うさ、それへの疑問を述べている人がいた。諸義務間の衝突の処理の
困難だとか。ああいう議論ならば、まだ、わかるんだが(といっても
それへも留保はつけたい)、君のそれは、単なるいちゃもんづけだ。
もっとも俺もそうかもしれず、自戒としたいが。
(俺はNAMの目的それ自体は崇高なものだと考えている。疑問は単なる
方法論についてだ)。

420 :419:02/03/16 23:43
上は417ではなく416です。いかん。失錯をしてしまった。
笑ってくれ。



421 :419:02/03/17 00:22
本当はカントやヘーゲルの考えている国家は小規模のものかも
しれないよ。それならば定言的命法が個人の選択を超えるのも
わからないでない。これは民族主義だけどね。しかし俺のいって
いるのは、地域的な民族主義だ。柄谷氏は帝国と民族とを混同して
いる。しかしさらにいうべきなのは、民族と帝国との関係もアンチノミー
近いのだ。帝国(連邦)ぬきの民族はないし、多民族ぬきの帝国もない。
これについては例えば俺は韓国(朝鮮、名称はどっちでもいい)の分裂
についても、新左翼などの考えには同意できない。
日本でジジェクナショナリズム批判を使う人が、一方、かれが、人口
200万!の(日本の四国規模の領土らしいが)独立国家を支持している
(その与党の参画者)のだということをはきちんと見ているのか?。
ここらへんの機微を理解しないと国際音痴だといわれないか?。

422 :421:02/03/17 01:13
定言的命法とルソーの一般意志との関係は如何?。ルソーの
考えていた共同体も小さいものだったらしいが。
一般意志が作動するためには、反発がないためには、
ある程度の共感や「常識」は必要となる。俺はそれを決して
否定しようとは考えていない。柄谷さんは新学期の講議で
あらためて本居宣長をとりあげるらしいが、どうなることやら。

423 :考える名無しさん:02/03/17 02:12
真意の一端は批評空間の座談会「日本精神分析再論」である程度明らかになるるだろう

424 :「探究」第12回:02/03/17 02:50
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-12.html

425 :考える名無しさん:02/03/17 03:48
馬鹿ばっかり。何クソ真面目なこと書いてんの?
「大地」を体験してからモノをイエッての。
視野が狭い。
そんな奴が産んだ子供はもっと視野が狭くなる。
マザーアースはそんなばい菌はいらないよ。


426 :考える名無しさん:02/03/17 03:52
ばい菌は環境に不可欠なものだと思います。
「マザーアース」という自然の擬人化は誤解を生むことがあります。

427 :考える名無しさん:02/03/17 03:56
トシちゃんは、はえぎわヤバイ。発毛菌希望

428 :422:02/03/17 09:50
俺がカントの本質を理解していないことについては自己批判したいっす
けどね。責任転嫁するけど篠田英雄訳はどうなんですか?。
カント「判断力批判」で唖然としたのは、絵画をもちあげて、音楽を
蔑んでいるところ。おいおい、この人、大丈夫かと思った。
全体主義的なことをいうと、聴覚不自由者は別として、音楽の領域こそ
社会性、公共性は問われると俺は考えている。そこにおいて趣味の自由が
ありえるとは俺は(本当は)考えていない。面とむかって他人にはいう
つもりはないけど。そこにおいて理性の能力を越えた越権があるとしても、 
アプリオリな?、規則が建てられるはずだと考えている(信仰にちかいが)
。少なくとも「これがいい」とはいえないにせよ、「これはわるい、
あきらかにわるい、こんなものを公共に垂れ流すのは社会的にもよくない」
とはいえると考えている(勿論、どんないい音楽でも強制的に他人に
聴かせることは悪いが)。(粗雑ないいかただから誤解を与えるかも
しれないが)。
ぶっちゃけていえば、悟性や理性がすぐれていても、感覚の鈍い哲学者
(カントにかぎらず)はあまり信用できないところがある。

429 :考える名無しさん:02/03/17 13:00
感覚や感性を重視すればファシズムに接近する
音楽は特にね

430 :428:02/03/17 14:16
>>429
それは褒め言葉だよ。そんな立派なものじゃないだろ。
それと音楽は数学的カテゴリーともかかわるから?、カントから
カントの趣味を越えて解釈するとどうなるのか、考えるべき。
それと最近の若い人は音楽の歌詞ではなく音そのものを
イデオロギー(?)として理解していることはお忘れなく。



431 :考える名無しさん:02/03/17 17:02
で何がいいたい?

432 :428:02/03/17 17:06
>>419
「俺はNAMの目的それ自体は崇高なもの」、これはカント的に使って
いるわけではないんで。舌が滑っているが。
カントの崇高って、よくわからなかったし、いまもわからない。
フロイトの「無気味なもの」かと思っていたんだけど。
>>399
「複数の超越論性のプラン」が崇高的なものと比較できるか?。
それは現実、都市、そこであたりまえにある。こういうものは
回収しえないでしょ。そういう荒廃のなかにいるべきなの?。
俺は田舎に住んでいるからね、精神的には虚構として断念として
平穏だが。

433 :428:02/03/17 17:12
>>431
「で何がいいたい?」。自分の言いたいことを相手に
転写しないで欲しいね。自分が何を言いたいかは、自分で
考えてくれ。それは俺の問題じゃない。

434 :考える名無しさん:02/03/17 18:53
いやだから何がいいたい?

435 :考える名無しさん:02/03/17 19:57
吸う交尾って純粋理性批判で切り捨てた超感性的領域を
判断力に取り戻すための概念って理解していいの?

436 :428:02/03/17 20:00
おいおい、がくっだな。粘着君かよ。
買い被った俺がわるかったか。

437 :436:02/03/17 20:12
>>435
431や434に尋ねた方がいいよ。

438 :「探究」第13回:02/03/17 21:52
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-13.html

439 :考える名無しさん:02/03/17 23:18
いやいやだから何がいいたい?
粘着とかいってごまかすの?

440 :437:02/03/17 23:45
>>439
自分の欲望を自覚してください。私はあなたの
大文字の他者ではありません。

「被分析者は、大文字の他者も、どれほど自分の欲望についての
真実を所有していないか、自分の欲望がどれほど保証も根拠もなく、
それ自体としてのみ権威づけられているかということを経験しなけ
ればならないのである。まさにこの意味で、転移の解消は、被分析者が
分析者に対して向けていた質問の矢を被分析者自身に向ける瞬間の
ことを言っているのである。初めは被分析者(ヒステリー)の質問は
、答えを有していると想定されている分析者に向けられる。それから
被分析者は、分析者自身は被分析者に向けられている大きな疑問符で
しかないということを認めざるをえなくなる」(ジジェク=松浦俊輔訳)



441 :考える名無しさん:02/03/17 23:48
>大きな疑問符でしかない

要するに 答えたくないと
自分で考えろと
分析者に質問スンナ
患者という立場をわきまえろと 

442 :考える名無しさん:02/03/17 23:51
ただひたすらに柄谷の真言を書き写す。
これが誠の柄谷読者の在りようでございます。

443 :考える名無しさん:02/03/18 13:00
>419
1:柄谷はカントの定言命法を彼の意図によって、わざと曲解していると思う。
2:柄谷のいう連帯って、時空を共にするお互いのためにではなくて、超越項
としての他者のために、お互いの生を捧げようといっていると思う。
3:カントの定言命法に、ぼくは賛成しているわけではない。ただ、柄谷は確
信犯的に自分の思想あるいは宗教的信条に、それを再解釈して取り入れている
と考える。

444 :440:02/03/18 15:11
統覚(綜合)について考えている。単数の統覚と複数の
統覚との間もアンチノミーアンチノミーというか・・・。
地域通貨は、それと関係するのか。?。
過去に「総括」っていう言葉が流行ったよなあ。
理性の狡智はどうなんだろ。

445 :430:02/03/18 17:46
>>430
「音楽は数学的カテゴリーともかかわるから?、」→
まったくのでたらめ。馬鹿。

446 :445:02/03/19 02:02
3/23(土)NHKラジオ第2。AM10:05〜。「私の日本語辞典」。
川田 順造先生「「ことばと文字」(3)−西の風・南の風−」。
かぎりなく本物にちかい訓読論。第1回目を聴きのがした。
すでに盛り場は過ぎたかもしれないが、次回で最終回だと思う。 

447 :445:02/03/19 02:59
>>446
2ch-er好きな妄想をいえば、川田のこの放送を通してs.H、i.Y、
h.Aなどの天皇観の一端を窺えるかもしれないという・・・。
h.F、h.Wのような単純な日本観ではない。・・・。?。

448 :考える名無しさん:02/03/19 10:26
>>416
『「人間」と「私」とが直結している。』は、実存的意味と一般的意味の差異
のことを言っているのかな?
NAMではなくて、NAMによって作られる非資本主義体制が、人間を支配運営する
ということです。そのあとのレスで書いてます。
「NAM生成」の32ページで、他者を触れ得ないもの、つまり超越項として定義
しています。

449 :447:02/03/19 11:21
>>448
いい加減にしような。「成人の日」の青年の主張を聞かされて
いる気分だよ。「高校生」とは対話しようとは思わんよ。
柄谷のNAMを批判するなら、せめてマルクス『資本』を
熟読してからにしてくれ(これは自戒でもあるんだが)。
君の願望を聞かされてもなあ。自分のために生きたいんなら
柄谷の許可なく生きるこった。

450 :アメリナ:02/03/19 12:37
「他者を超越項(論的仮象)として定義するカント解釈が宗教的ファシズム
を生み出す危険性がある」という考えは基本的には妥当なものではないか?
ただ、NAMにおいてはそれを阻止するために、一見小細工にみえるような
「くじ引き」とか「個人の複数の場の所属」とか「地域通貨」のような
「制度」を導入しているのである。
が、しかし、一方でそのような「制度」を理念的に支えるのが柄谷的カント
解釈であるのも確かなので、この二重性を絶えず意識する必要がある。




451 :考える名無しさん:02/03/19 14:06
>>448
「NAM生成」の32ページは、36ページの誤りです。

452 :考える名無しさん:02/03/19 14:08
>>449
あなたの批判は、中身がありません。マルクス資本論を読まずとも、
柄谷批判はじゅうぶんできます。


453 :考える名無しさん:02/03/19 14:23
>>450
柄谷の理論や政治運動は、どうみても継ぎはぎだらけで、万人の共感
を得るには無理があります。
カントは道徳論において、他者を未来とか過去に限定なんかしてませ
んよね。今を共に生きる他者、それは生身の人間であり、現象として
自分の目の前にいる相手を意味するわけです。
柄谷のいう他者は、過去にあったか、または未来にあるかもしれない
人間でもいいし、建築物でもいい、またアソシエイツでもいいわけで
す。だって、我々が絶対触れることができないものであるからです。
柄谷のいう他者は、カントの文脈でいえば、神という超越項す。
柄谷の倫理は現在を生きる他者(人間)は、未来や過去の他者と言う
目的の手段でなければならないわけです。他者は他者でも他者違いと
いうわけです。


454 :☆最新話題☆:02/03/19 14:54
http://www.kokorode.com/000000/


455 :447:02/03/19 23:23
>>447
447は単なる放言だが、しかしスガ氏も抗議していた蓮実学長(前)の
天皇招聘。それとは関係ないが、蓮実氏の天皇制観、天皇観は相当に
確固なものがあるはずである。単なる日和見はない。印欧語を徹底的に
やった人の意見はさすがだね。(勿論、天皇と訓読とをアナロジー
とれるのかという疑問もある)。(川田さんは別に訓読について述べた
わけではないけどね。また蓮実と川田を同一化することもおかしいと
いえばおかしいが)。あいかわらずみにくい文章だが(こういう
読解は、たかが、一観点にすぎない)、関西側からの天皇観ばかりを
述べてきたので、ここらで、東京中央の絶対主義的官僚
(しかも、とりわけ優秀な)の天皇制・天皇観についても、かんがえ
たい。

456 :考える名無しさん:02/03/19 23:28
もう君の独り言はいいよ

457 :455:02/03/19 23:28
>>455
絶対主義ってのは、いいすぎか。

458 :455:02/03/20 00:58
>>456
君が何をいっているのかわかりにくいが、基礎的なことを
語らせてもらうと、掲示板の統覚と主題はひとつだけではない。
まさかあなたは新書き込みが総括として現れているなどと
いう、弁証法の誤解をしているわけではないと思うんだが。
俺は「高校生」とは対話をしようとは思わぬが、「高校生」に
ここに書き込むななどと命令をすることはできない。当たり前の
ことだ。あえて邪推をしてみたが、このように記しておく。
もっとも俺も自分の気づかぬうちに「高校生」になり、あるいは
そうみなされていることはありえる。
もっとも「高校生」が増えると、今以上にさらに水準は落ちて、
「荒らし」の嵐となることはありえる。(「高校生」の具体的
定義は難しいが)。
それと俺は何ごとかの立場・集団を意図的には代表しているわけでは
ないんで(結果については知らない)、それだけは御承知してくれ。
(代表という概念は難しい)。

459 :考える名無しさん:02/03/20 01:01
「荒らし」の嵐
 「荒らし」の嵐
  「荒らし」の嵐
   「荒らし」の嵐

460 :455:02/03/20 01:04
また自分の投げ掛けた質問や疑問がそのまま「高校生」以下に
規範として受容されることほど(そういうとんでもない可能性
だって、ないことはない)、辛いこともない。

456君には、私のいいたいことが、おそらく、まるでわからない
とは思うが。



461 :455=140:02/03/20 01:58
>>140
これは駄目な発言だった。筆名といえど竹田青嗣を名乗り
つづけることへの強固な意志(姜なにがしではなく)を
軽んじるわけにはいかない。この意志については私はわかっては
いた。かれ自身、それが通名「問題」の現実的議論(すでに十分
すぎるほどの蓄積はある)に巻き込まれることを承知の上についても。
かれの初期の在日朝鮮人文学論には反対だが。あれは非常に誤解
されやすい。その批評と切り離して、その「通名」については
考えこむ(私は)。
(現在の「新日韓併合時代」ともいえるようなグローバリズムの時代と
 過去の大日帝の「グローバリズム」とを同一視できるかどうかは
 わからないが)。


462 :考える名無しさん:02/03/20 02:27
>筆名といえど竹田青嗣

自分でなのった筆名だからこそ
とも思うが。

463 :考える名無しさん:02/03/20 02:34
「たったひとつの私のものではない言語」
なにゆえの執拗なデリダ批判?

464 :「探究」第14回:02/03/20 07:09
http://www.hoops.livedoor.com/~sasaki_makoto/tankyu-14.html

「再論日本精神分析」は「続・日本精神分析」と
あまり変わらないですよね。

465 :考える名無しさん:02/03/20 08:23
>>たったひとつの私のものではない言語

すごいねこれ

私の父は私であり私の息子も私である



466 :考える名無しさん:02/03/20 08:34
わたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたしわたし

467 :考える名無しさん:02/03/20 08:41
たわし

468 :461:02/03/20 14:03
東君の本(「郵便的」)の最初にでてくるが、文や言の決定不能
はconstantiveとperformativeとの間の決定不能としてあらわれるんだが、
俺のいう「高校生」とは、そのperformativityについて、すさまじく、
鈍感なんだな。なぜなんだ?。経験の不足のせいか、共有している
はずの前提(知識)がないためか。勿論、純粋なperfomativeな文も
ないんだろうが。ただ遵法主義といっても、リアリズムのないそれは
ありえるのか?。単にconstantiveとして、seriousに受け取ることのみが
抵抗だろうか?。/
Zizekのcynicism批判はおもしろいが、parasiticな場面でのcynicismは
どうなんだろう。劇でも漫才でも脚本があって虚構である(そこにも
スガのいう上演性のつよい再現前と上演性を隠蔽した再現前との差異は
あるが)。それを知りながら我々はそれを娯しむ。舞台と客席(さらに
現在ではそこに放送局という第三者が介在する)との間の転移や逆転移
醍醐味がある。


469 :考える名無しさん:02/03/20 14:27
>>468
君の問いを、意識と行為の間のずれの問題として理解します。
なぜずれが生まれるのか? それは意識が理念で物事を考えるからで
す。そして、そのずれをなぜそんなにも問題化するのか?理念でどこ
までも突き進むことに、自己自身としての幻想を見ているからです。
意識上の理念を自分として絶対化する必要はないと思います。


470 :468:02/03/20 14:48
>>468
こんなことを書くとスレの性格を変化させてしまうかもしれないが。
去年の12/25のTV朝日だったか、M-1グランプリ(全国放送)をこの
スレで見た人はいるだろうか。麒麟のネタは漫才のなかにコントの
要素を多分に入れたものだった。(これは松竹のTKOなどもやっている)。
あるいは逆に。ある時期から、さんまやDT、木村祐一などは、芸人の技術を
あえて表面に出すということをしている。現前・再現前のパラダイム
1980年代後半から変化したらしい。
もっともこれはお笑い芸人板ではないから、この程度で自粛せねば
ならないが。



471 :470:02/03/20 15:13
「高校生」って、他人の文章を読まないのは
これは責めるべきではない。
しかし彼等の自分自身の文章すら、まともに読んでいない。
言葉を粗末に扱っているよなあ。勿論、
これは他山の石だ。自戒としたい。
(ちょっとルサンチマンっぽい文章になった?)。

472 :考える名無しさん:02/03/20 16:40
>>471
論敵を「高校生」と定義して、自分たちを少しでも、彼の上位に置こう
として、優位に立とうと試みる。見え透いたアプローチだよなあ。
自分たちこそは言葉の擁護者だって?。一体どこが?


473 :考える名無しさん:02/03/20 16:49
ことばの決定不能性は、どこから生まれるのか?
自分の生々しい実存的経験は、彼独自のもので、それはことばとしては
還元仕切れないからだ。
ことばにすると、他者と共有できる意味を獲得するが、一般性となって
しまうため、彼独自の経験とは、味わいが異なるものになる。
しかし、その差異がいったいどうしたというんだろう?そんな差異を問
題にするのは、超越項を暗黙のうちに設定し、絶望しているからだろう。


474 :考える名無しさん:02/03/20 17:27
>>470
君はほんとにつまんない評論をするんだね。うんざり。

475 :考える名無しさん:02/03/20 18:05
柄谷は資本と国家を悪とし、通産省が行うエコマネーという手段を、
LETSと同じような機能を持つにもかかわらず、評価しない。それは
なぜかと言えば、国家は悪だからだ。悪の組織が、何をしようが、
それは評価に値しないと、彼は考える。
この考え方は、アメリカがオサマビンラディンを野蛮な敵国と決め
付けた対立観とまったく同じだ。

476 :考える名無しさん:02/03/20 18:25
妄想ネタの批判は飽きました。
感情的な印象批判もいりません。
本の読解に基づいた批判を希望します。

477 :考える名無しさん:02/03/20 18:27
>471
あいもかわらず、内容のない批判に終始してますね。君のような批判は
小学生が友達に向かって、「おまえのかあちゃん、でべそ」と言ってる
のと基本はおんなじ。うわべだけを取り繕って、批判した気でいるなん
てさ。それで、おもしろいのかね。


478 :考える名無しさん:02/03/20 18:34
>>476
だからね。きちんと具体的に論駁しなさいよ。どこが妄想ネタで、そ
の根拠はどこにあるのか、またどこが感情的な印象批判なのか、その
根拠をきちんと言いなさい。君が柄谷の本もろくに読んでいないこと
がよくわかるだけです。これじゃあ、あまりにも柄谷が可愛そうだ。

中身のない抽象的な批判は、単なる嵐といっしょだね。そろそろ、お
後がよろしいようで。

479 :476:02/03/20 19:38
>>478
ちゃんと読んだ形跡がありかつ刺激的な批判にレスしたいものですね。
自分の勉強にもなるし。

480 :471:02/03/20 23:56
かなり盛り上がってやがんな。軽薄で不謹慎かもしれないが
それはそれでおもしれえという気持ちもある。

繰り返しになるんだが、ロジカル・タイプが滅茶苦茶な
言説の体をなしていない文章に対面する意味はない。
それに自分で気づかないとはな。怠けるのも好い加減に
してくれ。「自分の文章をまともに読んでいない」とは
そういうことだ。これを俺が指摘するならば、かれは
永遠に更生の機会をなくすだろう。こういうことを
いちいち書かねばならないことにすでに俺に屈辱感
(悪への加担?)がある。





481 :480:02/03/21 00:02
いや、やはり480は間違っている。多重人格者とは
対話できない。これだけで十分だ。俺はすでに
矛盾をおかした。自分の言語を自分で裏切ることは
できない。俺にもプライドがある。これ以上は
釈明しないようにしたい。

482 :481:02/03/21 00:32
青いことをいうようだが、今回のやりとりによって
「不在の超自我」はありうるべきもののなかで
最高の正義であることがよくわかった。その分
ではみなに感謝したい。(この文章にシニカルな
要素はないつもりだ)。(つまり過剰享楽によって
他人を悶絶させる猥褻さも)。

483 :考える名無しさん:02/03/21 00:51
>>480->>482

言わずもがなジサクジエンですよね?

484 :480:02/03/21 05:12
俺の文章って、そんなにわかりにくいのかな。通俗的に、
世俗的に書いてみようか。

1:387は柄谷がカントの定言的命法をねじまげたといった。すると
443で自分はカントの定言的命法を賛成していないといった。なにを
いっているわけ?。君の乏しい頭で柄谷を攻撃するところの唯一の
拠点(と俺にはみえた)を信じていないなら、君の文章は意味をなさ
ない。
2:君は「うけてたつ」と書いた。俺は416と419で二回も君の文章を
検査してあげた。その労に対してなんの礼もないんだな。

君は結局、他人に労働させてばかりの人間なんだよ。これからも
相変わらず君は逃げをうつ文章を書くだろうが、他の人は知らんが、
俺はあんたを一切信用しないよ。
そして過去ログをろくに読まない人間の加勢でせいぜい
いい気になるこった。



485 :考える名無しさん:02/03/21 05:19
ルサンチマン

486 :484:02/03/21 05:21
>>484
「なんの礼」→「なんの慰謝・感謝」

487 :484(さらに訂正):02/03/21 05:38
「二回も君の文章」→「君の、読むにも論じるにも値しないような文章を
わざわざ二回も」

488 :484:02/03/21 06:17
「なにをいっているわけ?」→「なにを
いっているわけ?+なにをしているわけ?」

489 :484:02/03/21 09:35
柄谷批判を煽ったことが失敗だったか。これらの悲惨なものが
網にひっかかるとは想像してなかった。自己批判せねばならない
かもしれない。ただし、柄谷やまともな人からすれば、俺も
あいつらも目くそ鼻くそで、一緒のようなものだろうが。

490 :考える名無しさん:02/03/21 13:36
悲惨な柄谷読者のいるスレはここか・・・



491 :484:02/03/21 13:45
383 以降の書き込みは、柄谷を内在的に批判するのではなく
(俺だって、それに成功しているつもりはない)、柄谷を意図的に
誹謗・中傷するものだということがよくわかっただろう。
つまり論理とは関係なく、個人的な利害や怨恨でそれをしている
ことが、よく、わかる。なんらかの悪意が背景にある。
これの尻馬に乗った人間もそれ相応の責任を自分でとることに
なるだろう。

492 :OFW:02/03/21 20:40
ところでスガは新左翼の言説に本卦帰りしてるんじゃなくって、大西巨人
論争のスタイルを真似てるかもね。大西のスタイルなんて、どこがいいん
だか。やつあたりをすると、大西の『神聖喜劇』は喜劇と銘されてるけど、
下世話な話、スガは昔からだが、なぜ、高橋源にあんなに辛辣なんだろな?。
スガは高橋源や糸井を転向者だと捉えているようだけど、エクリチュール
水準では、スガは後者にはるかに及ばない。スガもいろいろ現代詩について
マイナーな同人誌にも目配せしているようだけどさ。
あと、『神聖喜劇』のなかの村上少尉に、村上少尉がというべきか、
大西に「似ている」と思われる(?。創作上の人物だけど)。大西は日本
浪漫派体質のつよい人だよ(と思う)。あの小説のなかで村上を
徹底的に批判するような視点はあったっけ?。あったかもしれない
けれど。
ところで西部、あれはハイエクを誤読してるよ。ハイエクの共同体って
ローカルの、たとえば北陸だとか四国だとか、その程度の規模のもの。
西部は一方、どこかで議会を嘲笑して官僚を擁護していた。しかも
派生文法論がわかったのに。あるいは日本文字で世界の各民族語の音韻を
表現できないだとかの欠点を国文学者は直面するべきだ。アルファベットは
とおりのはず。大検を通れば問題はない。大体、姜尚中日本国籍
取ってないでしょ?、でも国立大学の東大教授になってるよね。こういう
レトリックは間違っているかい?。もし本当に君のいうとおりならば、
実証などされていない。前近代において王室や皇室が国際結婚を
するのは普通のことだから(天皇家と徳川との姻戚関係も当時に
おいては国際結婚のようなものだ)。君の論旨だと結局、
中上が、花園紀男(赤軍派右派)からオルグをうけたという話は嘘か?。
ここをつっこんだ人って、いるんだろうか?。


493 :491:02/03/22 01:01
>>492
他人のハンドルを騙るって、てめえ、最低のやつだな。
それだけはやっちゃあいけないことをやってやがんな。
てめえ、出るところに出るか?。

494 :考える名無しさん:02/03/22 01:22
>>493
これくらいなら、まだいいほうです。
2chはもっとひどいことをされます。ほんとにひどいことですよ。
「てめえ、出るところに出るか?」。このセリフを何度のみこんだことか。
★結局、2ch2ch。そんなセリフはほとんど無意味。
開き直って面白いこと、書きましょうよ。
★柄谷のトラクリ、読み物としては最高におもしろかったなぁ。


495 :491:02/03/22 01:31
>>494
あなた、注意しなさいよ。
過去ログの流れ(文脈)を見ずにそんなことを不注意に書き込むと
あなたこそが492だと疑われるという可能性もあることを。
とんだ闖入者だな。

496 :考える名無しさん:02/03/22 01:39
>>495
ありがと。

497 :考える名無しさん:02/03/22 01:53
OFWの「路地裏」ができるほどOFWはステイタスになったんだね。

498 :491:02/03/22 02:12
492よ。お前のやったことはお前の思っているよりも
深くお前に祟るだろう。自分の行為を低く見積もらないことだ。
そしてインターネットや掲示板の可能性を完全否定しているのは
お前だということをよく知ることだ。


499 :考える名無しさん:02/03/22 10:33
>>484
君の言う通俗、世俗と高貴という価値観分けがよくわからないな。
自分は高貴で他者は世俗なの? この考えは柄谷の「資本(利益)は悪で、
非資本(善)だ」という分け方といっしょだ。そういう土台が、権力主義を
生み出すんだよ。自分たちはエリートだ。他の連中は非エリートだ。だから
さ、吉本隆明に柄谷、浅田、蓮見を知の三バカトリオって、言われているんだ。
相手が理解できないから、世俗的に書くなんて、思い上がりもいいかげんに
してほしい。それは、自分のファシズム的な態度を認めたことにもなる。
他者にわかりやすく書くことは、独我性を超えて関係性を築くことの大切な
契機だ。

1:カントの道徳論を利用して、柄谷は自論を展開している。そのカント解釈
には無理がある。ぼくはカントの定言命法は、実践的な効果ではとても怪し
いと思っている。このふたつの考えのどこが矛盾するの?

500 :考える名無しさん:02/03/22 13:21
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