ギャル倭人伝
梅原猛は、ニニギノミコトが、朝鮮か中国からかは分らないが
多数の稲作技術者と軍隊を率いて鹿児島に上陸したという説を
展開した(”降臨”ではなく)。
始皇帝の頃、不老不死の薬を求め、数千人で
東の島に向かったという徐福を思い出した
(和歌山・新宮、インドネシア、朝鮮などに渡来伝説があるらしい)。
しかし、古代中国では長江流域が稲作の地域で、
黄河流域は畑作の地域だった。
徐福は後者の秦の辺りの人だろうから
ニニギノミコトではなさそう。
西嶋定生『東アジア史論集』(岩波書店)は
西嶋氏が我孫子市に住んでいたから
我孫子の図書館にあると思う。
第四巻。
「委」は顔を黒く塗っている意味もあるらしい。
そういわれれば「委」という字が顔に見えてくる。
ギャルの顔も黒い。
土浦ばかりでなく。縄文系なのか。
奈良時代のおしろいは米の粉だったらしいし(稲作の弥生系?)。
サーファー、プロデューサー、カレシ(→):カッコイイ、重要
イントネーションとしては実は茨城的
ア・ナウンサー、カ・レシ:カッコ良くない、重要ではない
日本の古代にムサ(アイヌ語だとか)という国があり
以下の国に分かれたという説があるが、根拠が乏しいと思う。
ムサ・ガミ→サガミ(相模)
ムサ・シモ→ムサシ(武蔵)
1983年春、札幌の代々木ゼミナール
(当時の校長・竹内均氏の講演を聴いた)の講習会で
講師が志賀島の金印「漢委奴国王」は「漢のアイヌの国王」だと。
アイヌ語の地名は、多くは東北・北海道の残っているだから
アイヌの人々も元々その地域の範囲にいたのではないか。
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