柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

『フーコー・コレクション4』(ちくま学芸文庫)

sasaki_makoto2007-05-06

人民裁判について−マオイスト毛沢東主義者)たちとの討論」

ヴィクトール 反抗が意識的な形態をとるのは、アソシエーションが形成される時、つまりその原初的な意味における組合運動が形成される時である。アソシエーションは、近代プロレタリアートの反抗として高度な形態である。それが、社会システムとその中心部を占める資本主義的生産様式が原因となって大衆の内部に対立が生じるという、大衆のなかの主要な矛盾を解決してくれるからだ。エンゲルスによれば、労働者間の競争に闘いを挑むことによってのみ、つまり、労働者同士をたがいに結びつけるアソシエーションを作ることによってのみ、競争を雇用主間の競争というレベルに送り返してやることが可能になる、という。賃金や労働時間短縮のための組合闘争についてエンゲルスが行う最初の叙述は、こうした文脈に位置している。以上の手短な歴史的補遺から僕が導き出したいのは、大衆内部の主要な矛盾が、利己主義を集団主義に、競争をアソシエーションに対置せしめる、という点だ。そして、アソシエーションを手にした時、つまり集団主義が競争に打ち勝った時に、はじめて労働者大衆が、つまり一つに融合したプロレタリア下層民が生まれ、大衆運動が生まれるのだ。

M・フーコー それが闘争形態としてアソシエーションの段階に達すると、犯罪性はもはや正確に同じ役目を果たさなくなる。というよりも、むしろ法の侵犯という、犯罪性をもって秩序や権力を一時的に、個人的にひっくり返そうとする行為は、闘争において、もはや同じ意味、同じ機能を保ち得なくなる、と言った方がいい。注目すべきは、プロレタリアートによるアソシエーションという形態を前に後退を余儀なくされたブルジョアジーが、暴力的で危険、法の尊厳も知らず、よっていつ何時暴動を始めるかわからないとされた民衆のある特定の一部から、その新しい勢力を引き離そうとしてあらゆる手段を尽くした、という点だ。


「権力の目」

フーコー 農村空間あるいは海上空間の歴史が発展するためには、マルク・ブロックやフェルナン・ブローデルをまたねばなりませんでした。