柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

猪瀬直樹氏は92年のツイン・ピークスのイベントで見ましたか

sasaki_makoto2007-06-16

栗本慎一郎氏のトーク・イベントでも話を聴いたと思う。
ミカドの肖像」、「ペルソナ」は面白かったですね。
今度、市ヶ谷の防衛省を見学しようと思ってます。


森理世 http://myblog.ask.jp/muj_riyo_mori/


カント「世界市民という視点からみた普遍史の理念」(中山元訳)

この国際的な連合では、どれほど小さな国であっても、自国の威力や独自の法的な判断によらずに、この巨大な国際的な連合、すなわち隣邦同盟だけの力によって、自国の治安を維持し、権力を保持することができるようになろう。

 このような思想は一見すると空想的なものに思われるかもしれない。そしてこうした思想を唱えたサン・ピエールやルソーは嘲笑されたものだった(というのも二人はごく近い時期にこの理想が実現されると信じたからだろう)。

 ルソーは文明よりも未開の状態が望ましいと語ったが、われわれ人類がこれから登りつめようとしている最後の段階を見逃すならば、これはそれほど間違っていたわけではない。


カント「人類の歴史の憶測的な起源」(中山元訳)

 このように理解すれば、誤解されることの多い有名なJ・J・ルソーの主張も、それが一見してたがいに矛盾しているようにみえるとしても、理性と一致させることができるのである。ルソーは学問の影響と人間の不平等を論じた著作において、人間の本性と文化が対立するのは避けられないものであることを説いているが、これは正しいのである。ここでルソーのいう人間とは、自然的な類としての人類のことであり、すべての個人は類としての人間のうちでみずからの使命を実現すべきなのである。
 しかし『エミール』と『社会契約論』などの著書でルソーは、困難な問題にふたたびとり組んでいる。