柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

それでも僕は

sasaki_makoto2008-03-22

大江健三郎の現在読める初期の作品に
「ソープ」という言葉が時々出てくるが
発表された時は「トルコ風呂」だったのではないかと思う。


「倭」が「日本」、
支那」が「中国」に変わったように。


と思ったら、「セヴンティーン」で唯一、
台詞に「トルコ風呂」があった。
地の文は全て「ソープ」である。
台詞は書き換えたくないという方針だろうか。




「セヴンティーン」では自涜、
「性的人間」では痴漢を繰り返し描写している。


後者の国会議事堂前駅での痴漢の場面で
千代田線だろうか、丸の内線だろうかと考えながら
地下鉄サリン事件を思い出した。


サリン事件を犯罪やテロと考えたり
麻原彰晃昭和天皇(神がかった人)と考えても不十分だと思う。


上九一色村サティアンの仏像の裏でのサリン製造は、
宇宙戦艦ヤマト」の大和からヤマトへの改造や
ガンダムの工場での製作のようだ。


サリン事件の犯人たちは、地下鉄の車両で
痴漢のように興奮していたかもしれない。