柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

デリダ「ジュネーヴの言語学サークル」

sasaki_makoto2008-04-26

『哲学の余白 上』(高橋允昭/藤本一勇訳、法政大学出版局

 1 ルソーとソシュールは声に倫理的・形而上学的特権を与える。彼らはどちらも、「言語の内的体系」(ソシュール)に対する書字(エクリチュール)の劣性と外部性を措定する。そして彼らの言説全体にさまざまな影響をもたらすこの挙措が、両者においてときに驚くべき文字どおりの類似を示す定式で表現されているのである。例えば、

 ソシュール 「言語活動と書字とは、異なる二つの記号体系である。後者の唯一の存在理由は前者を再現すること(ルプレザンテ)にある」(『一般言語学講義』四五頁)
 ルソー 「言語は話されるために作られているのであって書字は発話(パロール)の代補として役立つにすぎない[…]。書字は発話の再現(ルプレザンタスィオン)にすぎない」(「発音に関する断章」。プレイヤード版第二巻、一二四九―一二五二頁)