9月 世界貿易センター(東京)のTAPAで歓迎会でした
「ユリシーズ」(集英社)の終盤を読みながら、
筒井康隆の「バブリング創世記」を思い出した。
「ユリシーズ」旧訳→筒井康隆→「ユリシーズ」新訳(筒井康隆の下手な物真似、つまり蓮實重彦と同様)
かと。
丸谷才一による、古事記を始め日本の各時代の古典の文章に擬した
訳文は確かに問題になったのだろう。
平野啓一郎や椎名林檎よりすごいですね、というか
丸谷氏は普段から旧仮名だった。
解説で、ヤマトタケルの地名伝説をジョイスと結び付けるのは意外だった。
(飽いた→秋田)
(妻を恋う→嬬恋の例は無かったけど、
つま恋で今年は布袋寅泰、去年は氷室京介でしたね)
ジョイス「ユリシーズ」=柄谷行人「隠喩としての建築」
バージェス「時計じかけのオレンジ」=浅田彰「構造と力」
ナボコフ「ロリータ」=栗本慎一郎「パンツをはいたサル」「鉄の処女」
などと考える。
Jean-Pierre Dupuy "Avions-nous oublie le mal?"
1988年5月
始めたのはアメリカ人のほうだ。相互性という原則にきちんと従って、反撃と懲罰が実行されなければならない。とりわけ女性や子供たちが問題となるときにはそうである。原子爆弾を投じて、長崎と広島に対し大量破壊兵器という手段を講じたのは、アメリカ人だった。それらの爆弾は軍人と女性と子供たちを区別することができただろうか。
2002年2月5日
われわれの子供たちを殺す者たち自体を殺すということがテロリズムだというのならば、その時はいいだろう、歴史に、われわれはテロリストであると証言してもらうことにしよう。
コーランの教えによっても、論理によっても許される。
ビン・ラディンは広島を意識していたのか。
そうであれば、”アジア人として復讐した”という事になる。
僕は2003年1月にグラウンド・ゼロを訪れたし
丸山眞男とも接点が生じてくる。
栗本慎一郎氏は、2001年12月の青山スパイラルのトークイベント(里中満智子ほか)で
「ビン・ラディンは知り合いの知り合いの知り合いだ」と言っていた。