柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

地球温暖化=ウォーム事件

季節外れに野球やフィギュアスケートをやると
二酸化炭素の削減にはならないですね。


フレドリック・ジェイムソン "Third-World Literature"

資本主義が地球を横断して漸進的に膨張していくなかで、あるひとつの経済システムが二つのまったく別個の生産様式に直面することになる。そして、これら二つの生産様式は、その経済システムの影響にたいする二つのまったく異なったタイプの社会的および文化的な抵抗を措定する。一方における、いわゆる原始的、ないし部族的な諸社会と、他方における、生産のアジア的様式、ないしは巨大な官僚的な帝国システムが、それである。アフリカの諸社会と諸文化は、一八八〇年代に組織的な植民地化の対象になるにつれて、資本と部族的諸社会との共棲のもっとも驚くべき事例を提供する。そして、中国とインドは、資本主義といわゆるアジア的様式の巨大帝国とのもうひとつのまったく異なった種類の連携の主要な事例を提供する。……ラテン・アメリカは、さらに第三の種類の展開を提供する。


サミール・アミン『不均等発展』

プロレタリアートを速やかに獲得するために、植民地主義者たちは、アフリカの農村共同体から力によって土地を横奪し、彼らの農耕活動を近代化し集約化する手段をあたえないまま、意図して彼らを狭い貧困な地域へと追いやった。こうして植民地主義者たちは伝統的社会が一時的または恒久的な移民の供給源になるよう強制していったのである。……これ以降、アフリカ大陸のこの部分[ケニヤ、ウガンダタンザニアルワンダブルンジザンビア、マラウィ、アンゴラモザンビークジンバブエボツワナレソトスワジランド南アフリカ]において、伝統的社会の存在について語ることはもはやできなくなってしまった。


G・C・スピヴァクポストコロニアル理性批判』(月曜社

マルクス主義的文学批評にとっては、「アジア的様式」という問題は、一般的には、カール・ウィットフォーゲルの『オリエンタル・デスポティズム』のような、偏向してはいるが容易に利用できる書物によって解決済みの問題であると見なされてきた。