ロックモア『カントの航跡のなかで』面白いです
惣村内部に、また惣村から惣村へ、門徒組織を発展させてゆく際の、組織単位の役割を果したのが講であった。蓮如はあらゆる機会に講の寄合・談合を奨励した。「愚者三人に智者一人とて、何事も談合すれば面白きことあるぞ」(「実悟旧記」)。こうして講は狭義の宗教的結社という意味をこえて農民の自治的集会のモデルになり〈荘園制の場合、地域の団結ができない〉、やがて一向一揆の強力な基礎単位となったのである。
柏駅前のドンキホーテ1Fの
長崎屋・食品売り場が無くなっている。
トム・ロックモア『カントの航跡のなかで』(法政大学出版局)
彼(フッサール)の見解によれば、間主観性は独我論の問題に対して決定的な解答を与える。独我論(ラテン語で「唯一のsolus」+「自己自身ipse」ないし主観だけが実在するという可能性は、デカルトの『第一哲学についての省察』(一六四一年、一六四四年)のなかで問題として浮上している。
フッサールは、『デカルト的省察』の第二省察では、その哲学的視点を「超越論的独我論」と特徴づけている。
序文
I 風景の発見
II 内面の発見
III 告白という制度
IV 病という意味
V 児童の発見
VI 構成力について