柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

長池講義、外れですかね

ソシュール

言語は必然的であり、恣意的である。

断章番号二五七三

 創造的活動とは結合活動にほかならず、新たなる結合の創出である。しかし、この結合はいかなる素材から構成されるのか。それらの素材が外部から与えられるのではない。ラングがラング自身の中から汲み上げねばならないのだ。

断章番号六四五、六四六

 言語を綴織(つづれおり)に譬えてみよう。重要なことは、一連の視覚印象なのであり、色調の組合わせが織物の意味を形成するということなのだ。

断章番号一四三

あらゆる瞬間に、コトバは同時に体系であり進化である。あらゆる瞬間に、それは一つの制度であり過去の産物である。

断章番号三二九五、二

人が事物間に樹立する絆が事物自体に先立って存在し、これらの事物を決定する。

『一般言語学講義』

同一の文脈に現われる資格を有しながら少なくともこの文脈においては相互に排除される単位間に見出される関係。

ガリエのノート

記号学は、恣意的に定められた価値をあつかう学問である。

断章番号一一七八

自由のもつ非自由性という矛盾。


斎藤環『「文学」の精神分析』(河出書房新社

 柄谷行人は三島の明晰さについて語りながら、唐突に次のように決めつける。

その構造に近似的な図式で言えば、ラカンの「ボロメオの輪」が連想されよう。