柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

戦争機械は「アンチ・オイディプス」に出てこない

ヘーゲル『小論理学(哲学体系I)』(真下信一・宮本十蔵訳、岩波書店

しかし真のそして自由な良心がどんな理性的な規定と掟を含むか、自由な信仰と思惟がどんな内容をもち、どんな内容を教えるか、この実質的な点に触れることを彼らは差し控えて、否定的なもののあの形式主義のうちと、自由を思いのままに満たす自由のうちにとどまり続けた。


ドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』(市倉宏祐訳、河出書房新社

Jamais aucune eau ne lavera le signifiant de son origine imperiale : le maite-signifiant ou << le signifiant maitre >>. On aura beau noyer le signifiant dans le systeme immanent de la langue, s'en servir pour evacuer les problemes de sens et de signification, le resoudre dans la coexistence d'elements phonematiques ou le signifie n'est plus que le resume de la valeur differentielle respective de ces elements entre eux ; on aura beau pousser le plus loin possible la comparaison du langage avec l'echange et la monnaie, et le soumettre aux paradigmes d'un capitalisme agissant, - jamais on n'empechera le signifiant de reintroduire sa transcendance, et de temoigner pour un despote disparu qui fonctionne encore dans l'imperialisme moderne.

 いかなる水をもってしても、シニフィアンが帝国を起源としていることを(つまり、それが〈シニフィアンなる主人〉、あるいは「主人なるシニフィアン」であることを)洗い落せないであろう。



佐々木敦『ニッポンの思想』(講談社現代新書

 これ以後、彗星の如く現れた「思想界のニュー・スター=浅田彰中沢新一」を強力な牽引力として、それ以前は各々の専門領域で地道に活動していた他の学者たち――栗本慎一郎丸山圭三郎岸田秀今村仁司宇波彰、粉川哲夫、細川周平、そして蓮實重彦柄谷行人山口昌男前田愛吉本隆明、等々も衆目を集めていき、いつしかそれは学問の世界や出版界というレベルを超え、メディアとマーケットを巻き込んで、一種の社会現象とも呼べるほどに激しく盛り上がった様相を呈するまでに至りました。


『思想地図 vol.3』(NHKブックス

東浩紀「なぜ『動物化するポストモダン』を書いたのか」

そして、柄谷行人浅田彰といえば、まさに日本のポストモダニズムを代表する人物だと思われているかもしれない。

 誤解を避けるために付け加えておきますが、ぼくはここで、浅田氏や柄谷氏を批判しているのではありません。

宮台真司「一九九〇年代以降のポップカルチャー

 この二つのフェイズを理解することがとても大切で、浅田さんや柄谷さんがポストモダニティを批判したとしても、既にawarenessが生じた後では、そのawarenessを批判しようがどうしようがstructureは変わらないんですね。

河野至恩「東・宮台、北米講演旅行レポート」

一九九〇年代前半、柄谷行人浅田彰の編集による『批評空間』が日本の批評シーンの中心であったことは言うまでもないが、アメリカの日本研究、とくに文学や文化史などの分野でも、『批評空間』的な言説、とくに柄谷氏の批評の仕事は、『日本近代文学の起源』英訳(一九九三年)を機に幅広く紹介され、大きな影響を与えた。


宮台真司
http://www.miyadai.com/texts/002.php
荻上チキ http://mint-seijotcp.blog.so-net.ne.jp/2008-09-01


見仏記 ゴールデンガイド篇 いとうせいこう みうらじゅん 角川書店