柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

アジアの吉牛

フランク『リオリエント』(藤原書店)

彼は「文化が問題なのだ」と言い、私は決まって「構造が問題なのだ」と応酬してきた。

 このようなヨーロッパ中心主義に対する多少とも良く知られた批判は、イデオロギーのレベルでは、すでにエドワード・サイード(1978)によって、『オリエンタリズム』という考え方についての議論の中でなされている。マーティン・バーナル(1987)もBlack Athena〔『黒いアテネ』〕において西洋文化のアフリカ起源について論じて、批判した。またサミール・アミン(1989)は、Eurocentrism〔『ヨーロッパ中心主義』〕で、ヨーロッパ中心主義を痛烈に批判した。

 社会「科学」に属する他の同僚や友人たちもまた、ホーリズムを率直に認めているような場合でさえ、全体を見ることにしり込みしている。最も率直にホーリズムを認めているのは、サミール・アミンとジョバンニ・アリギである。私とウォーラーステインとは、彼らと二冊共著をものしたこともある(Amin et al. 1982,1990)。ウォーラーステイン同様、アミンとアリギも、彼らなりの近代世界のジグソー・パズルを中心から外側へ向って組み上げ始めている。そして彼らもまた、その「中心」としてヨーロッパを選び続けているのである。彼らはヨーロッパ中心主義は拒否している。アリギが東アジアへ向けた関心を高めている一方、アミンにいたっては、自著に『ヨーロッパ中心主義』(Amin 1989)というタイトルをつけてそれを批判している。しかしながら、両者はともに依然として、近世の歴史の検討をヨーロッパから始めている。そこが「資本主義」の始まった場所だからである。ウォーラーステイン(Wallerstein 1991)同様、アミンも私のテーゼに対する批判を書いており(Amin 1991,1993,1996)、そのかわりに、一五〇〇年頃の世界に鋭い歴史的断絶が――ヨーロッパで――起こったという、正統的な主張を擁護している。それ以前には、(ウォーラーステイン言うところの)「世界帝国」だけが、(アミンおよびウルフ〔Wolf〕言うところの)「貢納的生産様式」の発展とそのヨーロッパからの拡散がやってくる。アリギ(Arrighi 1996, Arirrighi, Hamashita, and Selden 1996)は確かに、中国および東アジアに、より多くの重要性があると考えている。しかしそれでもまだアリギは、彼の『長い二十世紀』(Arrighi 1994)において、「資本主義世界経済」の発展および、その金融上の諸制度の技術革新が、イタリアの都市国家で始まったと主張して、それを追跡している。

マルクスは、これら全「オリエント」において、古来からの「アジア的生産様式」の存在を主張した。「西洋」とその資本主義が侵入して、さもなければ永遠のまどろみにあったアジアを覚醒させるまでは、その全ての地域において、生産諸力は「伝統的、後進的そして停滞的」なままに留まっていたと、彼は主張したのである。


マルクスエンゲルス共産党宣言

 アメリカの発見、喜望峰の回航は、勃興途上のブルジョアジーに新しい地盤を拓いた。東インドおよび中国の市場、アメリカの植民地化、植民地との貿易、交換手段および商品一般の増大は、商業、航海、産業に対して、かつて無いほどの刺激を与え、それによって、崩壊しつつある封建社会内の革命的要素を急激に発展させた……。