柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

ホメロスのアレゴレーゼ

バルトやソンタグは日本の「枕草子」、「徒然草」、近松門左衛門をリスペクトしている。

枕草子」「徒然草」のような随筆文学は
世界初であったと高校で習った。

バルトが両作品をどれだけ念頭に置いて作品を書いていたかは分らないが
(日本を扱った『表徴の帝国』があるが)、
ひたすらフランス文学・思想を有難がる日本人より
日本文学の教養はあっただろう。


スーザン・ソンタグ『書くこと、ロラン・バルトについて』(富山太佳夫訳、みすず書房

 マシャード・デ・アシスの小説は道化的な語りの伝統の――お喋り好きの一人称の声が読者に取り入ろうとする伝統の――一翼を担うものであって、スターンから始まって、今世紀であれば、夏目漱石の『吾輩は猫である』、ローベルト・ヴァルザーの短編、ズヴェーヴォの『ゼーノの苦悶』と『老けゆく男』、フラバルの『騒がしい孤独』、ベケットの作品の多くへとつながる。

われわれの文化は今では男らしい柔和さの手本を教えてくれることが滅多になく、その一方で、過去の文学から学んで、すでに手元にあるそれは、ナイーヴさ、子どもらしさ、社会的な無垢とつながっている。『大いなる遺産』のジョー・ガージャリーや『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャのように。


アドルノ 文学ノート1』(三光長治・恒川隆男・前田良三・池田信雄・杉橋陽一訳、みすず書房

サン=ジェルマン伯爵、カリオストロ……彼らはいわば未来からの密偵であった。