92年、高城剛さん達と別れてバンクーバーに行きました
NAMに引退とか退職者というカテゴリーがありましたね。
というのは、それ自身でそのまま非有であるような有は、仮象(Schein 現われ)と呼ばれるからである。だが、それは仮象であるだけでなく、現象、つまり仮象の全体なのである。
動物は自己感情で終る。
この体系は、精神が自らに秩序を与えて全体とする生命であり、これこそこの書で考察される体系であり、世界史という形で自らの対象的定在をもっている体系である。
一方は、外的な環境が、完全に個人を規定し、限定する画廊であり、他方は、外的な環境を、意識ある実在のうちに在る通りの姿に、移している画廊である。前者は球面であり、後者は、球面を自分のうちに浮べている中心点である。
しかし、球面、個人の世界は、そのまま二重の意味をもっている。