柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

92年、高城剛さん達と別れてバンクーバーに行きました

NAMに引退とか退職者というカテゴリーがありましたね。


ヘーゲル精神現象学』(樫山欽四郎訳、河出書房新社

 というのは、それ自身でそのまま非有であるような有は、仮象(Schein 現われ)と呼ばれるからである。だが、それは仮象であるだけでなく、現象、つまり仮象の全体なのである。

 動物は自己感情で終る。

 この体系は、精神が自らに秩序を与えて全体とする生命であり、これこそこの書で考察される体系であり、世界史という形で自らの対象的定在をもっている体系である。

 一方は、外的な環境が、完全に個人を規定し、限定する画廊であり、他方は、外的な環境を、意識ある実在のうちに在る通りの姿に、移している画廊である。前者は球面であり、後者は、球面を自分のうちに浮べている中心点である。
  しかし、球面、個人の世界は、そのまま二重の意味をもっている。


精神現象学』は、小林秀雄メルロ=ポンティに大きな影響を与えたようだ。ジジェクにも。