柄谷行人を解体する

批評家・柄谷行人を―カント、マルクスを視軸にして―読む

Qは走り続ける

蒼井そら『ぶっちゃけ蒼井そら』(ベスト新書)

礼儀も知った。

ヘロドトス『歴史』

何事でもその最後をよく見て、それがどんな結果に終るかを注目しなければならない。

ヘーゲル精神現象学』(樫山欽四郎訳、河出書房新社

なるほど、現にあるものは、感覚的なもののうちに在りながら、それを出て自己に帰っているという、正にこういうものであり、観察の対象となるものは、見えないものが見えるものになるという意味で、見えることではある。

なぜなら、ここでいう脳髄とは、動物的な部分として、一方の側にあるようなものではなく、自己意識的個性の存在であるような脳髄であるからである。